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古来より霧島山中央六所権現が文字通り中心的な役割を果たしており、後年西御在所霧島六社権現もその役割を担い始める事になった。 を挿入。
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文字通り、をその名の通りに、誤字修正。
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これら4社に[[狭野神社]](狭野大権現)・夷守神社(夷守六所権現。明治6年に霧島岑神社に合祀)を加えて[[霧島六社権現]]という。
 
古来より霧島山中央六所権現が文字その名の通り中心的な役割を果たしており、後年西御在所霧島六社権現もその役割を担い始める事になった。明治の[[神仏分離]]の際、西御在所霧島六社権現は霧島神社に改称した。明治7年([[1874年]])、霧島神社は霧島神宮となり、明治10年に東霧島神社を、明治13年に霧島東神社を[[摂社]]とした。
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