「P・G・ウッドハウス」の版間の差分

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[[ダリッジ・カレッジ]]で学び、[[オックスフォード大学]]への進学を希望するものの経済的理由で断念し、1901年に[[香港上海銀行]]ロンドン支店に就職する。1902年9月に小説『賞金ハンター』を発表、翌1903年に銀行を退職し、本格的に小説家活動を始める。その後も数々のユーモア小説を発表し、徐々に作家としての地位を築いていった。1909年に拠点をアメリカに移し、ウッドハウスはその後生涯のほとんどを[[ニューヨーク]]で過ごし、1955年にはアメリカに帰化している。
 
第二次世界大戦中、旅行先のフランスで[[ナチス・ドイツ]]軍に拉致さ捕らえられ、ナチスが米英へ向けて放送していたラジオ声明に出演させられたことがある。ここで捕虜生活の不平を面白おかしく語ったり、知り合った敵国ドイツ軍将校についとの内通者とし好意的な意見を述べたりく攻撃され。この放送はイギリス国内から激しい非難を受けたが、放送は、全くのでっに[[ジョージあげで、アメリカ人記者「カサンドラ」ことウィリアムコナ(1909~1967)がェル]]ら友人の作家ッドハウスを攻撃する放送原稿を書い擁護もった。戦後名誉回復されているあやまちを認め、ウッドハウスに謝罪した
 
1975年1月、イギリス女王[[エリザベス2世]]から[[ナイト]]の称号を与えられたが、翌月に死去した。93歳。
 
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