「ラ・エスペーロ」の版間の差分

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作詞は[[エスペラント]]の創案者である[[ルドヴィコ・ザメンホフ]](1859-1917)である。曲は[[フェリシャン・メニュ・ド・メニ]](メニル)が作曲した[[行進曲]]が広く認知されている。
 
[[1905年]]の第1回[[世界エスペラント大会]]において、ド・メニが作曲した[[行進曲]]と、[[クラエス・アデルスキエルト]]が作曲した[[アリア]]が候補に挙がったが、このときは決着が着かず次回の大会へ持ち越しとなった。その後、議論が行われることなく自然と行進曲の方が定着した。ラ・エスペーロは現在も正式には認められていないが、エスペラントの聖歌として集会や大会などで歌われ、「[[エスペラント]]の[[国歌]]」と呼ばれることもある。
 
エスペラントの音楽グループ[[アコルド]]による唱曲: