「岐阜県第1区」の版間の差分

 
== 歴史 ==
[[岐阜県]]南西部、県庁所在地・[[岐阜市]]の一部がエリア。中選挙区時代は「[[岐阜県第1区 (中選挙区)|旧岐阜1区]]」にあたるが、[[自由民主党 (日本)|自民党]]が岐阜県議会・岐阜市議会の自民党議員が綿密な後援会組織を築いていたこともあり自民党の勢力が強い地域である。いっぽう都市部で労働組合の活動も盛んであり名古屋圏のベットタウンという地理的事情から非自民党支持勢力や無党派層も多い地域でもある。
1996年の[[第41回衆議院議員総選挙]]では、当時[[自由民主党 (日本)|自民党]]では唯一の女性衆議院議員として注目された[[野田聖子]]、[[日本社会党|社会党]]出身で、自社連立政権では[[内閣官房副長官]]を務めた後[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]に転じた[[渡辺嘉蔵]]、そして[[通商産業省|通産省]][[官僚]]出身で、自民党から[[新生党]]を経て[[新進党]]公認となった[[松田岩夫]]の3人の前職が対決する激しい選挙戦を繰り広げた。自民党を離党した松田への反発や自民党岐阜県連に大きな影響力を持っている自民党岐阜市連が結束して全面支援したこともあり、野田が当選した。松田はこの落選後[[第18回参議院議員通常選挙]]に立候補し、当選している(後に民主党に入党し、さらに自民党へ復党)。この選挙以来、野田が3回連続で当選していた。
 
小選挙区導入後初の総選挙となった、1996年の[[第41回衆議院議員総選挙]]では、当時[[自由民主党 (日本)|自民党]]では唯一の女性衆議院議員として注目された[[野田聖子]]、そして[[通商産業省|通産省]][[官僚]]出身で、自民党公認で初当選したものの離党し[[新生党]]を経て[[新進党]]公認となった[[松田岩夫]]、中選挙区時代から[[日本社会党|社会党]]出身から非自民系代議士として旧岐阜1区当選を重ね、自社連立政権では[[内閣官房副長官]]を務めた後[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]に転じた[[渡辺嘉蔵]]、そして[[通商産業省|通産省]][[官僚]]出身で、自民党から[[新生党]]を経て[[新進党]]公認となった[[松田岩夫]]の3人の前職が対決する激しい選挙戦を繰り広げた。自民党を離党した松田への反発や自民党岐阜県連に大きな影響力を持っている自民党岐阜市連が結束して全面支援したこともあり野田が当選した。松田・渡辺この落選後[[第18回参議院議員通常選挙]]に立候補、当選している(後に民主党に入党し、さらに自民党へ復党)。この選挙以来、野田が3回連続で当選していた。
2005年の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、野田が[[郵政民営化法|郵政民営化法案]]に反対票を投じたことから自民党の公認を得られず、自民党が新たに公認した[[落下傘候補]](選挙当時は「[[小泉劇場#刺客|女性刺客]]」とも呼ばれた)の[[佐藤ゆかり]]との激しい戦いとなったが、野田が制し5選。[[小選挙区制|小選挙区]]で負けた佐藤は、[[重複立候補]]していた[[比例東海ブロック]]では名簿登載順位が1位と優遇されていたこともあり、[[復活当選]]した。
 
松田は1998年[[第18回参議院議員通常選挙]]に立候補し当選したため、2000年の[[第42回衆議院議員総選挙]]は野田と渡辺の一騎打ちになり、野田が圧勝し落選した渡辺は選挙後政界引退。
選挙当時はマドンナ対決と[[マスメディア]]に大々的に[[報道]]され、大物[[政治家]]らが応援に来るなど全国的な注目区となった。この選挙では、自民党岐阜県連が党本部公認の佐藤を応援せずに対立候補の野田を支援したため、選挙後処分が行われた('''「[[佐藤ゆかり#岐阜1区騒動|岐阜1区騒動]]」''')。
 
2003年の[[第43回衆議院議員総選挙]]では、渡辺の後継候補として浅野真が擁立され野田との一騎打ちになったが、野田が勝利した。浅野は民主党[[比例東海ブロック]]の落選者の中で惜敗率が2位で繰り上げ当選の可能性はあったが、浅野は選挙後公職選挙法違反で逮捕・起訴され民主党は比例名簿しており2004年11月に民主党[[比例東海ブロック]]当選者から2人目の辞職者が出た時は惜敗率3位候補が繰り上げ当選となた。
その後、野田が自民党に復党し、佐藤とともにどちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に[[東京都第5区|東京5区]]に転出することが決定した。
 
2005年の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、野田が[[郵政民営化法|郵政民営化法案]]に反対票を投じたことから自民党の公認を得られず、自民党が新たに公認した[[落下傘候補]](選挙当時は「[[小泉劇場#刺客|女性刺客]]」とも呼ばれた)の[[佐藤ゆかり]]との激しい戦いとなり、マドンナ対決と[[マスメディア]]に大々的に[[報道]]され、大物[[政治家]]らが応援に来るなど全国的な注目区となったが、。選挙は野田が制し5選。[[小選挙区制|小選挙区]]で負けた佐藤は、[[重複立候補]]していた[[比例東海ブロック]]では名簿登載順位が1位と優遇されていたこともあり、[[復活当選]]した。なお、民主党は浅野に代えて[[柴橋正直]]を擁立したが、マドンナ対決(保守分裂選挙)に埋没した。
しかし、佐藤が転出した後の[[岐阜市立岐阜商業高等学校#学校法人立命館への移管問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]で岐阜市の自民党会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が起こった<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo090416_2.htm 岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 (読売新聞)]</ref>。8月に行われた野田の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090803/200908030843_8477.shtml 郵政選挙の「しこり」根深く 岐阜1区の自民 (岐阜新聞)]</ref>、ここでも岐阜1区分裂騒動でのしこりが未だに残っていることを露呈した。
 
選挙当時はマドンナ対決と[[マスメディア]]に大々的に[[報道]]され、大物[[政治家]]らが応援に来るなど全国的な注目区となった。この選挙では、自民党岐阜県連が党本部公認の佐藤を応援せずに対立候補の野田を支援したため、選挙後処分が行われた('''「[[佐藤ゆかり#岐阜1区騒動|岐阜1区騒動]]」''')。
[[2009年]][[7月21日]]に[[衆議院解散]]後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[柴橋正直]]の支援に動き<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/090722_2.htm 岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 (読売新聞)]</ref>、解散していた佐藤の後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。さらに参議院議員であった[[笠原潤一]](故人)の次女[[笠原多見子|多見子]]も、自民党と野田への不信から離党届を提出し、県議を辞職<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090815/200908151505_8589.shtml 笠原県議が離党届、民主支持 自民「影響ない」 (岐阜新聞)]</ref>、柴橋の支援を表明した。[[第45回衆議院議員総選挙]]では、全国的な民主党への追い風に乗る形で、柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選した。また、柴橋の応援に回った笠原も民主党から比例東海ブロックに単独立候補し、名簿登載順位が34位と下位であったが、民主党の大勝を受けて当選した。
その後、野田が自民党に復党し、佐藤とともにどちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に[[東京都第5区|東京5区]]に転出することが決定した。しかし、佐藤が転出した後の[[岐阜市所管の市立岐阜商業等学#学校法人立命館への移管計画問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]でをきっかけに岐阜市議会の自民党会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が起こった<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo090416_2.htm 岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 (読売新聞)]</ref>。8月に行われた野田の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090803/200908030843_8477.shtml 郵政選挙の「しこり」根深く 岐阜1区の自民 (岐阜新聞)]</ref>、ここでも岐阜1区分裂騒動でのしこりが未だに残っていることを露呈した。(詳細は[[岐阜市立岐阜商業高等学校#学校法人立命館への移管問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]を参照のこと)
 
[[2009年]][[7月21日]]に[[衆議院解散]]後、[[第45回衆議院議員総選挙]]では自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[柴橋正直]]の支援に動き<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/090722_2.htm 岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 (読売新聞)]</ref>、解散していた佐藤の後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。さらに参議院議員であった[[笠原潤一]](故人元参議院議員)の次女[[笠原多見子|多見子]](当時岐阜県議会議員)も、自民党と野田への不信から離党届を提出し、県議を辞職<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090815/200908151505_8589.shtml 笠原県議が離党届、民主支持 自民「影響ない」 (岐阜新聞)]</ref>、柴橋の支援を表明した。[[第45回衆議院議員総選挙]]では、全国的な民主党への追い風に乗る形で、柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選した。また、柴橋の応援に回った笠原も民主党から比例東海ブロックに単独立候補し、名簿登載順位が34位と下位であったが、民主党の大勝を受けて当選した。
[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、民主党公認を得た柴橋と、民主党を除籍され[[日本未来の党]]に移籍した笠原がそれぞれ立候補し分裂したこともあり、野田が小選挙区で勝利。柴橋、笠原はいずれも比例復活できず、議席を失った。翌年柴橋は民主党を離党し国政からも引退。
全国的な民主党への追い風と前回総選挙からの自民党分裂の影響で、柴橋が野田を抑え初当選、岐阜1区で非自民候補が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選した。また、柴橋の応援に回った笠原も民主党から比例東海ブロックに単独立候補し、名簿登載順位が34位と下位であったが、民主党の大勝を受けて当選した。
 
[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、民主党公認を得た柴橋と、民主党を除籍され[[日本未来の党]]に移籍した笠原がそれぞれ立候補し分裂したこともあり、野田が小選挙区で勝利。柴橋、笠原はいずれも比例復活できず、議席を失った。翌年柴橋は岐阜市長選挙への挑戦を理由に民主党を離党し国政からも引退。
 
[[2014年]]の[[第47回衆議院議員総選挙]]は、野田、柴橋に代わり民主党公認となった吉田里江に加え共産党新人も女性で、女性3候補による三つ巴の選挙戦だったが、野田は大差をつけて快勝している。