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食の頻度、摂取する時刻、なども食文化の要素のひとつである。また普段は何を食べるか、暦上特別な日には何を食べるのか、ということもある。
 
[[現代社会]]の[[グローバリズム]]の中で、それぞれの食文化は[[均一化]]の方向へ向かっている面もある。[[欧米]][[企業]]を主体にした[[ファストフード]]店が、[[世界]]各国に展開していたり、[[インスタント食品]]や[[スナック菓子]]などが流通している。とは言うものの、世界各国の各家庭では、親から子へと伝統的な家庭料理が伝授されつづけているし、[[郷土料理]]の再評価や、地元の食材を用いた料理の評価([[地産地消]])、「[[スローフード]]運動」も起きている。また、跡継ぎ問題もあって家庭料理だけでなく地域固有の郷土料理に詳しい継承者を育てる動きもある。
 
[[くらしき作陽大学]]に、日本初の「食文化[[学部]]」が設置されている。
 
== 日本の食文化 ==
[[日本]]においては、[[仏教]]僧侶の[[献立]](特に[[精進料理]])や、[[平安時代]]の[[貴族]]の[[酒宴]]における[[大饗]]料理、さらに大饗料理の系譜を引き武士社会における酒宴において儀式的な料理となった[[本膳料理]]などが成立する。本膳料理は客個別の卓上に膳部が配膳される[[銘々膳]]で、[[一汁三菜]]のように汁+菜で構成され、後々の日本人の食文化に大きな影響を与えてきた。また、本膳料理を簡略化した[[袱紗料理]]も誕生した。その後、[[明治維新]]に伴う[[文明開化]]にともない[[牛肉]]などを食べる食肉文化が流入。他にも、[[太平洋戦争]]中の食糧不足、[[連合国軍最高司令官総司令部]]の占領下の日本での食糧援助、[[高度経済成長]]などでも食文化が急速に変化した。
 
== 海外の食文化 ==
[[民族]]や[[宗教]]、[[地域]]、[[国家]]等々によってそれぞれの多様な食文化が存在する。固有のものがある一方で、[[麺類]]のように地域・国境を越えて食文化が伝播している場合もある。
 
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[[ムスリム]](イスラーム教徒)は、豚肉は不浄のものとして食べない。豚、血、アルコールを含むものは口にしない。鶏、羊などは食べることができるが、さばき方が決められており、神(アッラー)の名を唱えながら鋭利な刃物でさばく、と定められている。[[イスラム法]]にかなっている食べ物を「[[ハラール]]」という。中東では、ハラールに関して寛容になっているムスリムも増えたが、インドネシアのムスリムの中にはハラールに関して厳密な人も多い。
 
ムスリムは[[ラマダーン|ラマダーン月]](イスラム暦の月のひとつ)には、日の出から日没まで[[断食]]を行い(また、飲むこと、喫煙、性交、みだらなことを考えること、嘘をつくこと、人を騙すこと、等々も禁じられており)こうした断食はイスラム教の信仰の中でも最重要なもののひとつである。断食によって神が命じたことを行い、逆に禁止された全てから遠ざけることでタクワ(神を意識すること)を増やす。断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハナム(地獄)から守られる、とされる。断食をすることによって、貧しくて食べるものもない人々の苦しみを感じることができ、そうした人々の気持ちに寄り添うことができるようになる。ラマダーン月になるとイスラームは皆、仕事を終えるとまっすぐ帰宅し、日没後に家族・親族が集い、一緒に[[イフタール]](断食明けの食事)を仲良く楽しく食べる。それ故、ラマダーン月には街の料理店にはお客はまったくいなくなるという。ラマダーン月には世界中のイスラーム教徒はひとつになっていると実感し、信仰心が高まる。
 
(インドに多い)[[ヒンドゥー教|ヒンドゥー教徒]]は牛は聖なるものと考えており、牛肉は食べない(代わりに[[鶏肉]]などをよく食べる)。
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[[ヨーロッパ]]の[[近世]]では、地理上の発見や[[植民地]]を得たことが、食材や[[香辛料]]などの面で[[:category:ヨーロッパの食文化|その食文化]]に大きな影響を与えた。
 
[[日本]]においては、[[仏教]]僧侶の[[献立]](特に[[精進料理]])や、[[平安時代]]の[[貴族]]の[[酒宴]]における[[大饗]]料理、さらに大饗料理の系譜を引き武士社会における酒宴において儀式的な料理となった[[本膳料理]]などが成立する。本膳料理は客個別の卓上に膳部が配膳される[[銘々膳]]で、[[一汁三菜]]のように汁+菜で構成され、後々の日本人の食文化に大きな影響を与えてきた。その後、[[明治維新]]に伴う[[文明開化]]にともない[[牛肉]]などを食べる食肉文化が流入。他にも、[[太平洋戦争]]中の食糧不足、[[連合国軍最高司令官総司令部]]の占領下の日本での食糧援助、[[高度経済成長]]などでも食文化が急速に変化した。
 
[[現代社会]]の[[グローバリズム]]の中で、それぞれの食文化は[[均一化]]の方向へ向かっている面もある。[[欧米]][[企業]]を主体にした[[ファストフード]]店が、[[世界]]各国に展開していたり、[[インスタント食品]]や[[スナック菓子]]などが流通している。とは言うものの、世界各国の各家庭では、親から子へと伝統的な家庭料理が伝授されつづけているし、[[郷土料理]]の再評価や、地元の食材を用いた料理の評価([[地産地消]])、「[[スローフード]]運動」も起きている。
 
[[くらしき作陽大学]]に、日本初の「食文化[[学部]]」が設置されている。
 
== 関連項目 ==