「青島幸男」の版間の差分

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== 概要 ==
テレビ業界で当初は[[放送作家]]として成功し、[[高度経済成長|高度成長期]]を歌った[[スーダラ節]]を作詞する。[[クレージーキャッツ]]主演の映画はもとより、『[[若大将シリーズ]]』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『[[いじわるばあさん]]』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『[[人間万事塞翁が丙午]]』が[[直木賞]]を受賞するなど、多才の人として知られ、「'''超マルチタレント'''」と呼ばれた。[[タレント政治家]]としても高い人気を誇り、参院選2期目以降は、選挙期間中に[[選挙公報]]作成と[[政見放送]][[録画]]以外の[[選挙運動]]を一切せずに当選し続けたことなどが注目された<ref group="注">1995年の都知事選ではそれ以外に[[選挙ポスター]]貼りは行っているが、組織不足及び慣れていないため選挙終了まで全部を貼りきれなかった。</ref>。
 
一方で[[東京都知事|都知事]]時代に行政運営に失敗し1期で退任、世論の支持を一気に失い晩年は一転して不遇であった。
東京都立第二十一中学校(現:[[東京都立武蔵丘高等学校]])に入学するが[[学制改革]]に遭い、数か月で新制[[早稲田大学高等学院・中学部|早稲田大学高等学院]]に転校<ref group="注">[[旧制高等学校]]と新制高等学校の入れ替え時期と重なり、特例にて無試験入学。</ref>。
 
[[早稲田大学]][[第一商学部]]に進学。22歳の時、兄の許婚者に恋をして苦しみ、ガス自殺を企てたこともあるが、部屋にガス管を引いてガスを呼吸するうちに「これなら本当に死ねる、いつでも死ねるから今夜はやめとこう」と外に飛び出した<ref>{{Cite book |和書 |author=[[植木等]] その他 |editor=植木等デラックス 編 |year=1992 |title=植木等のみなさんおそろいで』p. |publisher=[[BMG JAPAN|ファンハウス]] |page=17における青島の発言。 |isbn=4594009980 |ref={{SfnRef|植木等|1992}} }}</ref>。この頃、恋の苦しみから自分の髪の毛を切ったり、赤い長襦袢を着て電車に乗ったり、哲学書を読み漁ったりした<ref name="ueki">{{Harvnb|植木等のみなさんおそろいで』|1992|p.=18における青島の発言。}}</ref>。やがて幸男の苦しみを見るに見かねた兄から許婚者を譲られ、3年後に結婚する<ref name="ueki" />。
 
学部卒業間際に結核を患ったので就職を断念して、[[1955年]]4月に[[早稲田大学大学院商学研究科]]商学専攻修士課程に進学し、療養生活を送る。当時、昔の同級生から見舞いを受けた際に就職先の自慢話を聞かされ、恨めしい思いをしたことが後に「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という歌を作る動機になった<ref>{{Harvnb|植木等のみなさんおそろいで』|1992|p.=12における青島の発言。}}</ref>。療養中に銀座でバー「カランタス」を経営。その頃に書いた漫才台本が[[日本放送協会|NHK]]のコンクールで採用されたことをきっかけに[[放送作家]]としての活動を開始。[[1956年]]6月には大学院を中退する。
 
結核回復後は働かずに実家で過ごしていたが、[[1961年]]、東京都立第二十一中学校の同期だった<ref>{{Cite book |和書 |author=[[佐藤利明]](編著) |year=2010 |title=植木等ショー! クレージーTV大全』p. |publisher=[[洋泉社]] |page=189 |isbn=9784862486240}}</ref>[[すぎやまこういち]]から電話で呼び出され、[[渡辺プロダクション]]社長である[[渡辺晋]]を紹介される。
 
=== 「超マルチタレント」 ===
渡辺プロダクション制作の『[[おとなの漫画]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])、『[[シャボン玉ホリデー]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])などの構成を担当し、放送作家本人が画面に登場する「青島だァ!」の[[ギャグ]]で一躍有名になる。1960年当時「最初に運転免許を取って美容師の免許を取って、映画も撮って、作詞作曲、監督、主演を全部やり、直木賞を取り、国会議員になる」と豪語し、植木等から正気を疑われたが、8年後までにこれら全てを実現させた<ref>{{Harvnb|植木等のみなさんおそろいで』|1992|p.=19における植木等の発言。}}</ref>。
 
作詞家としても才能を発揮し、番組で関わった[[ハナ肇とクレージーキャッツ]]や[[坂本九]]らの作詞をする。特に作曲家[[萩原哲晶]]とのコンビでの作品で数多くのヒットがある。代表曲として[[スーダラ節]]』『」「[[だまって俺についてこい]]』『」「[[明日があるさ]]などがある。
 
[[1966年]]には映画『鐘』で製作・脚本・[[映画監督|監督]]・主演を担当し、同作は[[カンヌ国際映画祭]]の国際批評家週間に入選した。
 
俳優としても、テレビドラマ『[[意地悪ばあさん (テレビドラマ)|意地悪ばあさん]]』(原作:[[長谷川町子]]、レギュラー放映:[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]/[[1967年]] - [[1969年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]/[[1981年]] - [[1982年]])に主人公・意地悪ばあさん(波多野たつ)役で主演し、読売テレビ版の主題歌[[意地悪ばあさんのうた]]も歌った。
 
あまり知られていない仕事として、ドラマの[[ストーリーテラー]](いわゆる[[狂言回し]])がある。[[1969年]]から[[1970年]]にかけて[[円谷プロダクション]]が製作した大人向けの特撮ドラマ『[[恐怖劇場アンバランス]]』では、ストーリーテラーとして全13回すべてに出演。同作品は、内容が陰惨なために製作後3年間[[お蔵入り]]した後、[[1973年]]にようやく放映されることになったもので、各話冒頭と終わりに挿入される青島の出演部分は、放映決定後に追加で撮影された。アメリカの怪奇ドラマ『[[ミステリー・ゾーン]]』に倣いストーリーテラーが案内してドラマが始まるという趣向を狙い、『ミステリー・ゾーン』の[[ロッド・サーリング]]に相当する人物として青島が抜擢された。ただしコメントはプロデューサー[[熊谷健]]の執筆によるものである。
 
=== 政治の道へ ===
[[1971年]][[3月29日]]、[[予算委員会]]の代表質問において、与党[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に対する[[財界]]からの[[政治献金]]の多さを批判する。首相の佐藤栄作を「もし理想的な[[政治資金規正法]]がつくられまして、これが厳密に運用されたら、自民党政府の存立はあり得ないでしょう。そのことはだれも知っておりますし、一番よく御存じなのは、佐藤さん、あなた御自身だと私は思います。だから、これは政治資金規正法の改正というのは私はできないと思います、あなたには。できもしないことを、やるのだやるのだとお約束になるから、ますます国民の不信を買うばかりであると私は信じます。(中略)[[資本主義]]国家なんですから、企業からお金を集めてそれを政治資金にするというのは、私は明らかにすればそれでいいと思うのです。できないならできないと明確におっしゃったほうが、一そうはっきりするのです。'''その代わり、政府はスポンサード・ガバメントであり、総理は財界の[[提灯|ちょうちん]]持ちで[[男娼|男メカケ]]である'''」と一刀両断し、大いに物議を醸した([[永六輔]]は、後年にこの発言を「あれは一種の媚び。ああいう媚び方というのがある。芸者がお座敷で権力者の禿頭を叩くのと同じで、あんなこと言われても総理は痛くも痒くもない。かえって喜んでる」と批判した)。
 
自民党は[[懲罰動議]]を出し、また同党の要求で、'''太字'''の箇所は国会会議録より削除された。しかし、青島懲罰の委員会決議は見送られた。青島によると、懲罰を決議するためには本会議で弁明の機会を与える必要があり、この弁明は時間無制限であったためではないかとしている<ref>[{{Cite journal |和書 |title=青島幸男 参議院議員としての軌跡 (第3回) |journal=第二院クラブ連載 |url=http://www.aoshimayukio.tv/toshiyuki/vol3/vol3.pdf |format=PDF |publisher=青島 参議院議員としての軌跡」第3回]{{リンク切れ|datearchiveurl=https://web.archive.org/web/20070928152339/http://www.aoshimayukio.tv/toshiyuki/vol3/vol3.pdf |archivedate=2007-09-28 |accessdate=2017年9月-11-29}}</ref>。
 
[[1974年]]の[[第10回参議院議員通常選挙]]以降、候補者の青島自らが街頭演説などの選挙運動を一切しないという独自の選挙活動を行う。これは青島が超有名人気タレントであるからこそ可能な戦法であった。
[[1998年]]には絵画「循環」で[[二科展]]入選を果たした。
 
都知事としての青島は、都市博中止以外には特に目立った施策はなく、[[二信組事件|2信組]]救済の税金投入をしないなど、他の公約を守ることもないまま官僚・役人任せの行政に終始する。このため、徐々に青島に対する批判は高まった<ref>{{Cite book |和書 |author=[[佐高信]] |year=2002 |title=タレント文化人150人斬り』(2002年、 |publisher=[[毎日新聞社]] |pages={{要ページ番号|date=2017年11月}} |isbn=4620315931}}</ref>。もっとも、[[オール野党]]であったために独自色を出すことができなかったという見方もある<ref group="注">ただし、[[日本共産党]]・[[生活者ネット]]・[[自治市民'93]]などは青島の政策に一定の肯定的評価を示しており、[[都政を革新する会]]は青島を全面的に支持していた。</ref>。
 
1期務めた[[1999年]]、任期満了で都知事の職を退任した。この時、2期目に立候補をするかどうか直前まで決めておらず、態度表明の記者会見の直前でも都政担当記者はおろか、ナンバー2である[[東京都副知事|副知事]]でさえも退任するかどうかを知らなかった。
[[2001年]]、[[二院クラブ]]代表に復帰。[[第19回参議院議員通常選挙]]に比例区から出馬するも落選。
 
[[2004年]]の[[第20回参議院議員通常選挙]]に[[東京都選挙区]](定数4)から無所属で出馬する。ポスターには「選挙にも行かないでがたがた抜かすんじゃねぇこの野郎!!青島だぁ文句あるか!?」の極めて挑発的なフレーズを掲げ、自らがかつて作詞したどんと節の選挙版替え歌(セルフパロディ)を陽気に3回も熱唱し、歌の合間に政見を少し話すという極めて異色な政見放送を行う<ref>[{{Cite web |url=http://h16-san-in-sen.tripod.com/ |title=平成16(2004)年 第20回参議院議員通常選挙 政見放送再録] |accessdate=2017-11-29}}</ref>。596,272票を獲得したが、次点で落選した。青島はこの年の参議院選挙での落選を最後に、事実上政界を引退することとなった。
 
[[2006年]][[12月20日]]午前9時31分、[[骨髄異形成症候群]]のため死去。{{没年齢|1932|7|17|2006|12|20}}。叙・[[正四位]]、[[旭日重光章]]受章。[[戒名]]は廉正院端風聚幸大居士。[[明仁|今上天皇]]から、一般の[[香典]]にあたる[[祭粢料|祭祀料]]を下賜される。都の職員100人以上がボランティアとして通夜・葬儀を手伝った。葬儀には盟友である[[植木等]]も参列したが、植木もこの時すでに[[肺気腫]]によって体調を崩しており、酸素吸入器を付けなければならない状態だった。植木にとっても、これが公の場で見せた最後の姿となる。なお、植木は青島の後を追うように、青島の告別式からちょうど3月後の[[2007年]][[3月27日]]に死去している。
 
==人物==
=== 人物像 ===
[[高度経済成長]]期に「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」と作詞して'''ニッポン無責任時代'''を演出した立役者でもあるが、青島自身にサラリーマン経験は無い。また、「うちのお父さんはサラリーマンですが、ちっとも気楽じゃありません。あんな歌はやめてください」という苦情の手紙を受け取ったことがある。青島は「卒業、就職の時期に[[結核]]を患い、やむなく大学院に籍を置いて、療養生活を余儀なくされ、身の保証の何一つないヤクザな稼業に追いやられた私としては、『サラリーマンがナンボのもんじゃい』とうらみがましく思っていた」と語っている<ref>{{Cite book |和書 |author=青島幸男 |year=1988 |title=わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』(1988年、 |publisher=[[文藝春秋]] |pages={{要ページ番号|date=2017年11月}} |isbn=4163426205}}</ref>。
 
[[1990年代]]の青島は[[アメ]]で購入した[[M51 (モッズコート)|モッズコート]]を頻繁に着用しており、それに目を付けたテレビ局関係者がモッズコートを後述の『[[踊る大捜査線]]』の主人公の衣装とし、主人公・[[青島俊作]]の名前の由来ともなった<ref>[{{Cite web |url=http://www.bookcafe.jp/aoshima/museum/tv_movies.html |title=TV・映画 |publisher=青島幸男ミュージアム] |accessdate=2017-11-29}}</ref>。
 
=== 他者からの評価 ===
*青島は、同年生まれであり、青島が学生の時にはすでに芥川賞作家となっていた[[石原慎太郎]]のことを意識し、時にライバル視していたと言われる。石原は初選挙も同じ参院選全国区であり、青島が直木賞受賞を目指したのも石原の影響によるところが小さくはない。かつては犬猿の仲とも言われ、メディアでも両者はよく対比された<ref>『週刊プレイボーイ』(1981年8月18日号)「キミはどちらを支持する!?青島幸男vs石原慎太郎」</ref>。青島が亡くなった際、石原は「本当びっくりしましたね。前も一回がんを患って…本当に希代の才人だったからね。僕と同じ年だしね。同じ参議院で出て、ああいうウイッティーで才気のある人っていうのは、だんだんいなくなっちゃった」と述懐した。ただし、石原による東京都知事としての青島の評価は低く、青島の前任者である[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]が[[2010年]]に亡くなった際、石原は「行政の経験がなければ都知事は務まらない」と持論を展開した上で元エリート官僚の鈴木を賞賛し、「(私の)友人でもあった'''青島君はあの体たらくで'''」と述べ、青島と[[美濃部亮吉]]に対し厳しい評価を下した。
* [[野坂昭如]]が青島を批判したところ、青島は野坂に反論する形で「てめえなんか[[ホームレス]]以下だ」と発言。このやり取りの直前、[[西新宿]]の[[動く歩道]]建設に伴うホームレスの強制退去が行われていたため、青島の発言が批判される一幕もあった。
* [[永六輔]]は青島を「敵に回すと恐ろしい、味方にくると頼りない」と評したことがある。また、[[矢崎泰久]]は著書において「裏切り者」「議員になって途端に尊大になった」などと酷評している<ref>{{Cite book |和書 |author=[[矢崎泰久]] |year=1997 |title=変節の人 かつての同志が告発する青島幸男の正体』(1997年、 |publisher=[[飛鳥新社]] |pages={{要ページ番号|date=2017年11月}} |isbn=4870312956}}</ref>。
* [[1995年]]の[[第17回参議院議員通常選挙]]には、自らの後継として実娘の[[青島美幸]]を二院クラブ公認で比例区に立てる(落選)など、それまで批判してきた[[世襲]]政治をも踏襲し、政治家として厳しい評価を受けた。
 
*『とまどいの日々』(毎日新聞社、1985) ISBN B000J6VNRO
*『繁盛にほんばし弁菊』(新潮社、1985) ISBN 4103388048
*『極楽トンボ』([[文藝春秋]]、1986)のち文庫 
*『青島幸男の紋切り型辞典 女の口説き方から辞表の書き方まで』([[ネスコ (出版社)|ネスコ]]、1988) ISBN 4890360530
*『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』(文藝春秋、1988)のち文庫 
*『青島幸男の[[金丸信|金丸]]倒せ100万通大作戦』([[汐文社]]、1992) ISBN 4811301455
*『青島幸男とたった七人の挑戦』([[徳間書店]]、1995) ISBN 4198603049
*『ドーンと都政じわじわ革命』([[ぎょうせい]]、1998) ISBN 4324054363
*『青い島の幸せな男』([[晶文社]]、2004) ISBN 4794966210 ※青島の近くにいる人物から反対を受け、出版中止となった<ref>{{Cite web |author=[[岸川真]] |date=2013-03-29 |url=http://www.webdoku.jp/column/kishikawa/2013/0329_154451.html WEB本の雑誌 |title=こんな僕がインタビュー術を語っていいんですかっ? / 岸川真 > 第15回  出版中止になる |work=WEB本の雑誌 |publisher=[[本の雑誌社]] |accessdate=2017-11-29}}</ref>。
*『ちょっとまった!青島だァ』([[岩波書店]]、2006) ISBN 4000280945
 
==== 翻訳 ====
*S.ワインスタイン, H.アルブレヒト『にわとりのジョナサン』勁文社 1975 のちケイブンシャ文庫
*[[ジェームズ・クラベル]]『[[23分間の奇跡]]』([[集英社]]、1983) のち文庫 
 
=== テレビ番組 ===
* いまに見ておれ(1964年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 剣持敬太
* [[泣いてたまるか]](1966年 - 1967年、TBS)
* [[ウルトラマン]] 第11話「宇宙から来た暴れん坊」(1966年、TBS/[[円谷プロダクション|円谷プロ]]) - 新聞記者
* [[ひょっこりひょうたん島]](1965年 - 1966年、[[日本放送協会|NHK]]) - トンカチーフ(声の出演)
* [[気まぐれ百年]](1966年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[意地悪ばあさん (テレビドラマ)|意地悪ばあさん]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]版、1967年) - 波多野 タツ
* [[ケンチとすみれ]](1967年 - 1968年、NHK) - 甲田玄三
* [[お昼のワイドショー]](1968年 - 1979年、日本テレビ)
* [[独身のスキャット]](1970年、TBS/円谷プロ)
* [[恐怖劇場アンバランス]](1973年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]/円谷プロ) - ストーリーテラー〔司会〕
* [[欽ちゃんの仮装大賞|欽ちゃんの全日本仮装大賞]](1979年 - 2001年、日本テレビ) - 長期にわたり審査員長を歴任。
* 意地悪ばあさん([[フジテレビジョン|フジテレビ]]版、1981年 - 1982年) - 波多野 たつ
* [[サザエさんVS意地悪ばあさんVSいじわる看護婦]](1984年、フジテレビ) - 波多野 たつ
* [[今夜は最高!]](1985年・1988年)
* [[追跡 (情報番組)|追跡]](1988年 - 1994年、日本テレビ)
* [[意地悪ばあさんリターンズ 伝説のばあさんVS湾岸署スリーアミーゴス意地悪バトル]](1999年、フジテレビ) - 波多野 たつ
* [[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]](2001年、日本テレビ) - 加茂営業本部長
* [[TV's HIGH]](2000年 - 2001年、フジテレビ)
 
=== 映画 ===
* クレージーの花嫁と七人の仲間(1962年、松竹) - フロアーテレビ・ディレクター
* サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ(1962年、大映) - 原作
* スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ(1962年、大映) - 原作
* [[若い季節 (映画)|若い季節]](1962年、東宝) - 谷
* 「可否道」より なんじゃもんじゃ(1963年、松竹) - テレビ作家・赤島
* あの人はいま(1963年、松竹) - 縫目正志
* わんぱく天使(1963年、東宝)
* [[ホラ吹き太閤記]](1964年、東宝) - [[大久保忠教|大久保彦左衛門]]
* 男嫌い(1964年、東宝) - 片山道雄
* 戦場にながれる歌(1965年、東宝) - 西山助教
* [[大阪ど根性物語 どえらい奴]](1965年、東映) - 青島
* [[クレージー大作戦]](1966年、東宝) - 駐在所巡査
* 旗本やくざ(1966年、東映) - たらしの頓兵衛
* [[黄金バット#実写映画 (1966年)|黄金バット]] (1966年、東映東京) - 警官
* 女は幾万ありとても(1966年、東宝) - 塚本
* [[クレージーの怪盗ジバコ]](1967年、東宝) - 警官
* BG・ある19才の日記 あげてよかった!(1968年、日活) - 今村栄次
* [[クレージーのぶちゃむくれ大発見]](1969年、東宝) - 若い男
* [[千夜一夜物語 (1969年の映画)|千夜一夜物語]](1969年、日本ヘラルド) - アルディン(声の出演)
* 俺は眠たかった!!(1970年、松竹) - 警官
* 二人でひとり(1970年、東宝) - 服部良助 ※原作・脚本・監督・主演 服部良助 役
* [[告訴せず#映画|告訴せず]](1975年、東宝) - 木谷省吾(主演)
* ドン松五郎の生活(1986年、東宝東和)
* [[川の流れのように (映画)|川の流れのように]](2000年、東宝)
* [[釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇]](2001年、松竹) - 高野研一郎
* 明日があるさ〈THE MOVIE〉(2002年、東宝) - 加茂
* [[死に花]](2004年、東映) - 穴池好男
 
=== 戯曲 ===
* 二人でひとり(2001年、[[小松政夫]]主演)<ref group="注">1970年の青島幸男自身が主演した同名映画とは別作品。元は[[小松政夫]]のために書き下ろした喜劇の脚本で、長いこと陽の目を見ないままであったが、小松が2011年に日本喜劇人協会会長に就任したため、小松の会長就任記念作品として2011年に初めて舞台化された。</ref>
 
=== 音楽作品 ===
==== 歌唱 ====
* 青島だァー / 女なんて
* そろりと参ろう / 今度こそは大丈夫 ※「そろりと参ろう」は[[TBSテレビ|TBS]]系ドラマ『そろりと参ろう』主題歌。
* 信じておくれ / 鐘をあげる男たち ※「信じておくれ」は牧田羊子とのデュエット。「鐘をあげる男たち」は映画『鐘』主題歌。
* しまった / 悪く思うなよ
* 意地悪ばあさんのうた / ウマイ話ってないもんだね ※「意地悪ばあさんのうた」は[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系ドラマいじわるばあさん主題歌。
* ヤシの木陰のクリスマス(作詞・作曲:青島幸男、編曲:牧野信博、2000年11月29日発売)
* 明日があるさ - 作詞を手掛けた坂本九の同曲のセルフカバー(「明日があるさ〜青島幸男作品集〜」の赤盤に収録)
 
==== 作詞 ====
* これで日本も安心だ!(植木等)
* [[大冒険|大冒険マーチ]](ハナ肇とクレージーキャッツ)
* [[だまって俺について来い]]([[植木等]]、カヴァー:[[火野正平]]・[[天童よしみ]]<ref group="注">火野と天童のカヴァー版は、タイトルの「来い」の部分が平仮名になっているほか、歌詞の「銭のない奴は」の部分が「金のない奴は」に変わっている。</ref>)
* [[この際カアちゃんと別れよう]](ハナ肇とクレージーキャッツ) ※[[上野玲児]]との共同作詞。
* 実年行進曲(ハナ肇とクレージーキャッツ)
* [[明日があるさ]]([[坂本九]]、カヴァー:[[Re:Japan]]<ref group="注">青島自身により新たに歌詞が追加された。</ref>)
* ナカナカ見つからない([[スリーファンキーズ]])
* 明日をみつめて([[弘田三枝子]])
* 『青島幸男読本』([[2012年]]、[[音楽出版社]])
 
== ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 脚注出典 ===
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
* [http://www.niinkurabu.gr.jp/index.html 第二院クラブ]
* {{JMDb name|0222270}}
* {{Allcinema name|119351}}
* {{Kinejun name|98523}}
* {{IMDb name|0031850|Yukio Aoshima}}
 
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