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映画が発明された1895年、イギリスの映画監督アルフレッド・クラークが初のSFXと考えられるものを創り出している。それは[[スコットランド]]の女王・[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・スチュアート]]が首を刎ねられる事件の再現の撮影で、死刑執行者がメアリーの首を刎ねようと斧を振り上げたところでカメラを一度止め、メアリー役の女優を退かせて代わりにダミーを置き、再びカメラを回し、ダミーの首を刎ねさせた。これが、映画で実際に起きていないことをいかにも起きたように観客に信じさせた最初の効果であった。クラークはトリックによってそれが実際に起きていることだと観客に信じ込ませ、映画は実際にはありえないことも表現できる可能性を示した。
 
映写技師出身で[[RKO]]に在籍していたエンジニア、リンウッド・ダン (1904-981998年) は、当時海外配給用に異なる大きさの画像を焼き付けるため使われていた[[オプティカル・プリンター]]を[[光学合成]]用に改良し、撮影不可能な場面を合成処理で作り出すだけでなく、複数のフィルムを扱うことで多彩な映像効果も操作出来るようになった。<!--光学処理された最初期の映画には『[[空中レビュー時代]]』(1932年)、『[[キングコング]]』(1933年)、『[[旅ガラス子供連れ]]』(1934年)、『[[洞窟の女王]]』(1935年)、そして『[[市民ケーン]]』(1938年) とRKO作品が続く。-->
 
1935年、RKOは[[テクニカラー]]を使用した初の商業映画「[[虚栄の市 (1935年の映画)|虚栄の市]]」を製作。カラー映画を製作できることは、映画の見た目のリアリティーを強くした。 [[第二次世界大戦]]中、白黒映画は新しく人気の出てきた戦争映画ではもっとも一般的だったが、新しい現象が映画製作者に及んでいた。ミニチュアの使用である。
 
映画製作者は、船を飛び立つ飛行機や大海を進んでいく空母の隊列といった複雑な場面を作り出すべく、大量の水に模型ボートを浮かべ、模型飛行機を配してその場面を撮影した。波を起こす特別な機械を使うことで、本物のようなボートや飛行機の場面を作り出すことができたのである。『[[:w:Ships with Wings{{lang|en|Ships with Wings]]}}』(1942年) などの映画は「模型の船や飛行機、ミニチュアの火薬技術に依存して、それらが登場する戦争の描写を行っていた」(Rickitt, 23)。これにより、観客には「何が本物で何が本物でないのか、どうすれば分かるのか」という疑問が投げかけられることになった。
 
1968年には[[スタンリー・キューブリック]]監督の『[[2001年宇宙の旅]]』が製作された。キューブリック監督が目指した、極限まで画質が高く革新的な映像には既成の光学合成だけでは対応できず、合成段階の画質劣化を避けて殆どの場面で大面積のフィルムを使用した重ね撮りが行われ、猿人たちがモノリスと遭遇する場面の撮影に新しい[[スクリーン・プロセス]]の方法として[[フロント・プロジェクション]]に改良が加えられ、また星の門(スター・ゲート)が開く場面にはスリット・スキャンが考案された。カメラのシャッターを開けた状態で被写体を動かし残像を撮影する手法を発展させたものである。<!--本作でSFX技法の開発に寄与したのは当時26歳だった[[ダグラス・トランブル]]で、彼自身と彼のスタッフが1970年代末から1980年代のSFX映像に大きく貢献することになる。-->