「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の版間の差分

===作曲者===
 
 真の作曲者が誰であるか不明である。ヘイリーの歴史家クリス・ガードナーが1979年にマイヤーズに行ったインタビューに対し「私(マイヤーズ)が指一本で演奏するピアノをいて、マックス・フリードマンが部屋に入り曲の完成を手伝いました。私はフリードマンに「Rock“Rock Around the Clock」Clock”「Dance“Dance Around the Clock」Clock”よりも優れたタイトルであるとアドバイスしました。」と語っている。<ref name="fa" />
 2000年7月のNational Public Radioに対するインタビューで、ガードナーは「RATC」の作曲について異なる意見があると語った。「マイヤーズの作曲への関与を疑っている人が少なからずいます。 フリードマンが何年も前に亡くなり、自分自身のために語ることが出来なくなった今、我々が真実を知る事はもう出来ないでしょう。」コメッツのピアニスト、ジョニー・グランデは、NPRに「フリードマンが曲を書いた」とシンプルに語る。[[アラン・フリード]](Alan(Alan Freed)Freed)は、[[チャック・ベリー]](Chuck(Chuck Berry)Berry)の「メイベリーン(Maybelline)(Maybelline)」の共同作家として評価されているが、作曲への実際のインプットは一度もなかったと同じように、「DeKnight」のクレジットは出版社の手配だったともいう。さらに混乱に拍車をかけるのが、Henry Fillerなる人物が「RATC」を編曲したことを示す手書きの楽譜が存在する。Myers / DeKnightには全くクレジットされていない。 Fillerが元のコンポジションに与える影響は全く分かっていない。<ref name="fa" />
 
'''ジェームズ・E・マイヤーズ'''(1919~2001)(1919〜2001)フィラデルフィア出身。幼少よりドラムを学ぶ。1933年「ジミー・デナイト & ヒズ・ナイツ・オブ・リズム 」結成。1946年「カウボーイ・レコード」、出版社「マイヤーズ・ミュージック」設立、地元ミュージシャンの録音を行う。1950年ASCAP加入。ビル・ヘイリーのデビューから成功まで重要な役割を果たす。作曲家として300の作品を書き、俳優、映画監督、文筆業などその経歴は多岐にわたる。享年82歳。<ref name="fz" />
'''マックス・C・フリードマン'''(1893~1962)(1893〜1962)フィラデルフィア出身。作曲家、ラジオアナウンサー。音楽出版社スタッフとして1942年ASCAP加入。「スー・シティ・スー」(ディック・トーマス1945年)、「ハート・ブレイカー」([[アンドリュー・シスターズ]]1947年)、「ティー・リーヴス」([[エラ・フィッツジェラルド]]1948年)などのヒット曲を持つ。享年69歳。 <ref>英語版wikipedia[[:en:Max C. Freedman|Max C.Freedman]]より引用 2017年6月20日閲覧</ref>
 
===デモ録音===
418

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