「植木庚子郎」の版間の差分

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Purple Quartz (会話 | 投稿記録)
表現がくどいと言うか冗長
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== 大蔵省時代の仕事 ==
1943年、成績優秀だが貧しく学費が払えず、修学が困難な学生に奨学金を貸与することを目的として大日本育英会(現・[[日本学生支援機構]])が設立された。当時大蔵官僚で後に首相となる[[大平正芳]]は、大日本育英会の査定を担当していて、大平は国の手による育英事業は本当の英才に限られるべきとの考えから、当初の中学20万人案はいうに及ばす、文部省の3万人案よりも少なく査定した。さすがに厳し過ぎることから大蔵省首脳からも批判され、最終的には主計局長だった植木の説得で大平は譲歩したという<ref>『大平正芳』 43-44頁。</ref>。[[長野県]]松本[[税務署]]長時代には、管内の土地調査員を統括し、[[国家資格]]として確立させるための運動を示唆し、戦争による中断を経て、[[土地家屋調査士]]制度を実現させた<ref>[https://www.chosashi.or.jp/gaiyou/img/gaiyou/hakusyo2014/075-090_chapter09.pdf 日本土地家屋調査士会連合会]</ref>。
 
== 脚注 ==