「ヨーロッパ世界」の版間の差分

編集の要約なし
(59.84.110.219 (会話) による ID:57779930 の版を取り消し)
 
==ヨーロッパ世界の形成==
ヨーロッパ世界の形成は[[ローマ帝国]]の東西分裂に伴い、[[西ローマ帝国]]の領域では[[ローマ教会]]が、[[東ローマ帝国]]の領域では[[正教会]]が大きな影響力を有しながら展開していった。地中海世界との比較では、地中海世界が領域としていた[[北アフリカ]]地域が[[イスラム世界]]に組み込まれ、喪失する一方、地中海世界の外であった[[東ヨーロッパ]]、[[北ヨーロッパ]]をその領域に組み込んでいることである。この領域は現在「[[ヨーロッパ]]」と呼んでいる地域とほぼ一致する。
 
[[人種]]概念同様、純粋な学術的分類というよりはキリスト教的価値観を大いに含んだ概念と言える。
===西ヨーロッパでのキリスト教世界の形成===
[[Image:Notre-Dame-night.jpg|thumb|275px|right|[[パリ]]の[[ノートルダム大聖堂]]。西ヨーロッパによく見られる[[ゴシック建築]]である。]]
[[ゲルマン民族の大移動|ゲルマン人の大移動]]によって[[西ローマ帝国|西方正帝]]が滅亡する力を失うと、[[西ヨーロッパ]]をゲルマン系諸民族が席捲した。その際、[[ローマ人]]などの[[ラテン系]]民族や[[ガリア人]]([[ブリトン人]]も含む)らケルト系諸民族からなる原住民との文化的融合が行われ、ゲルマン人は[[キリスト教]]を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国([[征服王朝]])が形成され、それらは[[フランク王国]]に収斂されて行った。欧州の様々な民族から形成された[[フランク人|フランク民族]]の王[[カール大帝]]はキリスト教とローマ世界の庇護者として[[ローマ教皇]]により[[西フランク・ローマ|西ローマ皇帝]]に戴冠され、[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])を重要な共通概念とする世界が構築された。特にキリスト信仰は文明のバックボーンとなり[[マジャル人]]など東方系の民族もカトリックを受容した。これに続き、[[ヴァイキング]]後に成立した[[北欧諸国]]のカトリック化によってほぼ現在の西ヨーロッパにおけるヨーロッパ世界が完成したと言える。
 
===東ヨーロッパでのキリスト教世界の形成===
[[東ローマ帝国]]はローマ帝国分裂後も1000年近く命脈を保ったため、周囲の[[東ヨーロッパ]]、[[バルカン半島]]地域のキリスト教化によるヨーロッパ世界の展開は東ローマ帝国と[[正教会]]と移住してきた[[スラヴ人]]との闘争と融和のよって進行されていった。
 
初期の東ローマ帝国の皇帝は西ローマ帝国西方正帝の消後、「ローマにかわる第二後継者ローマ」として「[[地中海帝国]]」の復活を目指した。[[ユスティニアヌス1世|ユスティニアヌス]]帝のころ、ローマ帝国の領域をほぼ征服することに成功、地中海帝国の再興にこぎつけた。しかし、神聖ローマ帝国の成立や[[ヴァイキング]]の侵攻、スラヴ人の流入、[[イスラム世界]]の勃興など外部的要因で地中海帝国の維持には失敗し、[[ヘラクレイオス王朝]]の頃には[[ギリシア人]]の帝国として東ローマ帝国は[[バルカン半島]]、[[東ヨーロッパ]]地域の征服およびキリスト教の布教に専念するようになった。
 
一方、バルカン、東ヨーロッパ地域に移住してきたスラヴ人たちは、独自の王国を建設。[[北方十字軍]]等の西ヨーロッパ世界の干渉や東ローマ帝国と激しく戦う一方で、[[正教会]]および[[ビザンツ文化]]を受容するようになっていった。
匿名利用者