「田所善治郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
32行目:
 
== 来歴・人物 ==
[[静岡県立静岡商業高等学校|静岡商業]]では[[1952年]]にエース、四番打者として[[阿井利治]]とバッテリーを組み、[[第24回選抜高等学校野球大会]]に出場。準決勝では[[大阪府立八尾高等学校|八尾高]]の[[木村保]]に投げ勝つ。決勝では[[日野美澄]]のいた[[徳島県立鳴門高等学校|鳴門高]]を降し、全試合完封勝利で静岡商業を選抜初優勝に導いた<ref>「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年</ref>。同年夏は山静大会準決勝でエース[[矢頭高雄]]を擁する[[山梨県立都留高等学校|都留高]]に敗退。他のチームメートに[[中堅手]]の[[横山昌宏([[中日ドラゴンズ|中日]]がいる。
 
卒業後、[[1953年]]に[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]に入団。同年4月から先発陣の一角として起用される。5年目の[[1957年]]にはエースの[[金田正一]]と共に、先発の柱として15勝21敗と初の2桁勝利を記録した。[[1959年]]にも11勝を挙げている。その後は勝ち星も少なくなり、[[1964年]]限りで現役を[[引退]]した。翌年からは国鉄に残って、コーチを務めた。現在、静岡県野球連盟競技役員。オーバースローからドロップ、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。