「イラク日本人人質事件」の版間の差分

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== 被害者 ==
高遠菜穂子は[[ボランティア]]を目的として入国した。支援対象は10代男子のみのストリートチルドレン<ref name="interview2">インタビューにて「(戦乱による孤児のうち)小さい子や女の子は[[宗教]]系の団体や大きいNGOに引き取られていくんですけど、中高生くらいの年代の男の子はどこにも引き取り手がなくて」と、10代の少年がいかに救済されていなかったかを語っており、また大規模なNGOの手が届かないものに労を捧げるというのが自分のしたいことだと語っている。[http://www.magazine9.jp/interv/nahoko/index2.php 高遠菜穂子さんに聞いたその2]</ref>。
 
また、渡辺修孝は元[[自衛隊員]]だった。
 
メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、[[報道被害]]や報道の公正という観点から問題にもなった。
 
また各メディアの[[世論調査]]の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、[[インターネット]]においては、[[2002年のサッカー FIFAワールドカップ]]の日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。
 
なお、この事件に当たっては、[[週刊文春]][[2006年]][[11月2日]]号に掲載された[[作家]]の[[麻生幾]]が執筆した記事によると、[[海上自衛隊]]の[[特殊部隊]]である[[特別警備隊 (海上自衛隊)|特別警備隊]]員をバクダド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。
 
== マスコミへの批判 ==