「ヘブライ人への手紙」の版間の差分
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→新約聖書中での位置づけ: 混ざってると分かりにくいので分離 |
→著者: 著者について議論するのは不毛な気がする。Wikipedia:論争のある記事#論争を記述するに倣い、双方の説を比較できるように明示的に分離し、記述調整 |
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== 著者 ==
『ヘブライ書』の著者については『ヘブライ書』の中には明記されていない<ref>[[s:ヘブル人への手紙(口語訳)#第1章|ヘブル人への手紙(口語訳)#第1章から13章]]</ref>。はっきりしているのは差出人不明の手紙であるという事である。
=== 使徒パウロではないかという説 === 使徒パウロではないかという説を初めとして、『ヘブライ書』の著者を巡る議論は古代以来続いてきた。かつて『ヘブライ書』を[[パウロ書簡]]の一つとする分類法も行われていた === 使徒パウロ以外では 本文中には他のパウロ書簡のような著者に関する情報が何もない。『ヘブライ書』に見られる思想そのものはパウロに近いが、文体や用法などは明らかに違っている。序文もパウロ書簡のそれとは異なっている。特にポイントとなるのは著者が他者からキリストの教えを受け取ったと語っている部分である。パウロは『ガラテヤの信徒への手紙』の中で自分がイエス自身から福音を受けたことを強調する。 パウロ以外で著者とされるのは、パウロの協力者シラス、『クレメンスの第一の手紙』の著者とされる教皇[[クレメンス1世 (ローマ教皇)|クレメンス1世]]、福音記者[[ルカ]]、[[アレクサンドリア]]の無名のキリスト者などである。テルトゥリアヌスは『使徒言行録』に現れる[[バルナバ]]が著者であるといっている。[[マルティン・ルター]]は同じく使徒書に現れるアポロが著者であるという説を示した。現代の聖書学者たちも著者については特定の結論に至っていない。にもかかわらず『ヘブライ書』は一貫して正典として受け入れられてきた。
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