「民間人出入統制区域」の版間の差分

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== 概要 ==
民間人出入統制線は、[[朝鮮戦争]]休戦後の[[1954年]][[2月]]に軍事境界線付近の保安のため、[[アメリカ陸軍]]が境界線付近の住民が帰ってくる事を規制する帰農線(きのうせん、{{lang|ko|귀농선}})を画定したことに始まる。その後、この地域の[[警備]]を引き継いだ[[大韓民国国軍|韓国軍]]により、軍作戦や警備に支障の無い範囲で居住の伴う営農が許可され、[[1958年]][[6月]]に民間人出入統制線と改称した。
 
この規制線は、[[有刺鉄線]]を張り巡らせたりするなどして一般の[[交通]]を物理的に規制しており、決められた[[検問|検問所]]以外からの出入りは禁止されている。このため、この事情を良く知らない[[観光|観光客]]は、目の前の[[鉄条網]]を見て反対側は、すぐに北側地域ではないかと誤認識することがしばしばある。実際には観光客が南側から北側地域に近づけるエリアは非常に限られており、通常は非武装中立地帯と民間人出入統制区域の二重の緩衝地帯によって、距離があることから肉眼で見えないばかりか近づくこともできない。ただし、[[共同警備区域]]などの特殊地域、南北が直接面している[[川|河川]]や海上、特別に許可された場合のみ通行できる[[鉄道]]や[[道路]]からは実際の南北の境界線を臨むことも可能である。
 
この区域は韓国側が自主的に設けている地域であり、非武装中立地帯の外側、つまり非武装である必要が無いため、[[大韓民国陸軍|韓国陸軍]]部隊が駐屯し多くの軍事施設が設置されており、特に[[地雷]]が多く埋設されている。また朝鮮戦争休戦前から土地があるなどの理由で、特別に居住している住民も存在する。[[1980年代]]から主に退役軍人らが[[開発|開墾]]を始めて入植した[[屯田兵]]のような場所もある<ref name = "軍事研究2007/3">[[軍事研究 (雑誌)|軍事研究]]2007年3月号 「韓国の戦時即応体制」</ref>。
 
間人線を越えて民間人統制区域に入る場合、多くは限られたルートのみであり、入域には検問所での手続きが必要である。区域内に居住している住民・軍人などの関係者以外は、厳格に指定された観光用ルートのみ、事前手続きを持って入域することが可能である。
 
当該区域内では軍事作戦および警備に支障のない範囲で民間人の営農のための土地利用が許可されるが、耕作権を除く土地所有権の行使、地域内の出入りや行動など、[[国民]]の[[自由]]と基本権が[[国家]][[安全保障]]上の必要性のため制限されている代わりに、区域内の住民には納税・兵役の義務が免除されている。