「ボストン交響楽団」の版間の差分

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ミュンシュの後任は、[[1962年]]より[[エーリヒ・ラインスドルフ]]が務め、[[1969年]]に[[ウィリアム・スタインバーグ]]に後を譲った。
 
[[1973年]]より音楽監督に就任した[[小澤征爾]]{{refnest|group="注"|なお、小澤自身がボストン交響楽団を初めて指揮したのは1968年1月のことである<ref name="fr_univsl-music">[http://www.universal-music.co.jp/seiji-ozawa/biography/ BIOGRAPHY] - ユニバーサルミュージック・ジャパンWebサイト内、小澤征爾アーティスト・サイトより《2017年11月23日閲覧》</ref>}}は、その情緒的な表現様式によってたちどころにボストン市民を魅了、市中で最も愛される音楽家となった。[[2002年]]まで在任し、歴代のボストン響の指揮者の中で最も任期の長い指揮者となった。その在任中、1978年3月、1981年秋、1986年、1989年にはボストン響を率いて日本を訪れ、来日公演を行っている<ref name="fr_univsl-music" />。 なお小澤の在任期間中には日本から[[若杉弘]]も客演した事がある
小澤の後任は[[ジェームズ・レヴァイン]]となり、[[2004年]]からレヴァインはアメリカ生まれのアメリカ人として初めてボストン響の音楽監督となった。レヴァインの任期が始まって以来、現代音楽作曲家を含むレパートリーと品質を蘇らせることで、レヴァインは賞賛を受けた。レヴァインの任期中、2009年2月までに18の世界初演を行ったが、そのうち12はレヴァインの指揮であった。しかしレヴァインは健康問題から[[2011年]]9月1日をもって辞任し、[[2014年]]からは[[アンドリス・ネルソンス]]が音楽監督に就任している。ネルソンスは[[2011年]]3月に、[[カーネギーホール]]で行われた[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第9番 (マーラー)|交響曲第9番]]の演奏会において、レヴァインの代役として初めてボストン響を客演指揮した。その後[[2012年]]7月に[[タングルウッド]]で、[[2013年]]1月にはシンフォニー・ホールで初めて客演した。[[2013年]]5月にボストン響は、ネルソンスを15代目の音楽監督として発表し、2014年から就任することとなった。ネルソンスとの契約は当初5年であったが、[[2015年]]8月にボストン響は、自動更新を含む8年契約となったと発表し、[[2022年]]まで任期が延びることとなった。
 
小澤の後任はジェームズ・レヴァインとなり、[[2004年]]からレヴァインはアメリカ生まれのアメリカ人として初めてボストン響の音楽監督となった。レヴァインの任期が始まって以来、現代音楽作曲家を含むレパートリーと品質を蘇らせることで、レヴァインは賞賛を受けた。レヴァインの任期中、2009年2月までに18の世界初演を行ったが、そのうち12はレヴァインの指揮であった。しかしレヴァインは健康問題から[[2011年]]9月1日をもって辞任し、[[2014年]]からは[[アンドリス・ネルソンス]]が音楽監督に就任している。ネルソンスは[[2011年]]3月に、[[カーネギーホール]]で行われた[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第9番 (マーラー)|交響曲第9番]]の演奏会において、レヴァインの代役として初めてボストン響を客演指揮した。その後[[2012年]]7月に[[タングルウッド]]で、[[2013年]]1月にはシンフォニー・ホールで初めて客演した。[[2013年]]5月にボストン響は、ネルソンスを15代目の音楽監督として発表し、2014年から就任することとなった。ネルソンスとの契約は当初5年であったが、[[2015年]]8月にボストン響は、自動更新を含む8年契約となったと発表し、[[2022年]]まで任期が延びることとなった。
 
== 常任指揮者・音楽監督など ==