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== 生涯 ==
[[東海郡]]
大業14年([[618年]])に[[宇文化及]]が[[煬帝]]を殺した後、[[揚州市|江都]]太守の[[陳稜]]が江都を守っていた。李子通が江都を攻撃したため、追いつめられた陳稜は[[沈法興]]と[[杜伏威]]に救援を求めた。李子通の部下の[[毛文深]]が沈法興と杜伏威のあいだを離間し、2勢力が牽制しあっている隙に、李子通は江都を奪取した。皇泰2年([[619年]])、江都で皇帝を称し、国号を'''呉'''、元号を[[明政]]と定めた。[[丹楊]]に拠った[[楽伯通]]を降して、尚書左僕射に任じた。また沈法興を破って晋陵を奪い、[[李百薬]]をはじめとした江南の[[士大夫|士人]]の多くを帰順させた。
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