「平沼亮三」の版間の差分

* 三男の[[平沼五郎]]は[[岩倉具清]]らと共に日本における[[フェンシング]]の普及に貢献し、また慶應フェンシングクラブ(慶應義塾體育會フェンシング部)を設立した人物。
* 横浜市[[西区 (横浜市)|西区]][[平沼 (横浜市)|平沼]]近辺(通称:平沼町)は祖先である5代目平沼九兵衛が1839年、埋め立てを始め、7代目平沼九兵衛の代で完成した。平沼家は埋立地で[[製塩]]を始め<ref>[{{NDLDC|1125807/16}} 『スポーツ生活六十年』] 平沼亮三 著 (慶応出版社, 1943) </ref>、[[生糸]]で成功した商人<ref>[http://www.customs.go.jp/yokohama/history/history150_2.pdf 第2章 京浜工業地帯の発展と相次ぐ試練の半世紀]横浜開港150年の歴史、横浜税関</ref>。
* 横浜市の有識者の間では[[平沼専蔵]]家を本家、亮三家を分家とする認識があるが、専蔵家は埼玉県飯能出身、亮三家は江戸時代中期より横浜に存在しており、両家に血縁関係はない。ちなみに亮三は7代目九兵衛の長男なのでまぎれもなく本家である。
*妻・婦美、長男・九郎、長女・千鶴、三女・苫舎、次男・七郎(麒麟麦酒常務取締役<ref>[http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=1080&query=%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E7%A7%80%E6%AC%A1 麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 続戦後編』(1985.03)]渋沢社史データベース</ref>)、三男・五郎。
* [[俳優]]の[[石坂浩二]]は外孫にあたる。