「森進一」の版間の差分

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[[1972年]](昭和47年)、森の狂信的なファンの女性から婚約不履行、未成年者略取<ref group= "注">女性は森との間にできた子供を森が連れ去ったと吹聴し、果てはマネージャーがその子を殺して遺棄したと主張して、[[鹿児島県警察|鹿児島県警]]が殺人、死体遺棄の容疑で取調べる事態にまで発展した。実際には女性が子供を産んだとしていたその時期に、彼女は別の男性との間にできた子供を堕胎していたことが地検の捜査で判明した。</ref>で告訴された。実際には女性の主張していた内容は全くの狂言だったが、彼女がそうした妄想にとらわれるようになったのは、以前病気療養中の森の母を見舞った際に母から親切に対応されたのがきっかけだった。このことを苦にした母は翌1973年に自殺。[[山口地方裁判所|山口地裁]]が森の全面勝訴を言い渡したのはその半年後だった。
 
[[1974年]](昭和49年)には[[フォークソング]]全盛期の黄金コンビ、[[岡本おさみ]]作詞、[[吉田拓郎]]作曲の「'''[[襟裳岬 (森進一の曲)|襟裳岬]]'''」を発表。同曲で[[第16回日本レコード大賞]]、第5回[[日本歌謡大賞]]など多くの音楽賞を獲得し、「[[第25回NHK紅白歌合戦]]」で自身初の大トリを務めた。この「'''[[襟裳岬 (森進一の曲)|襟裳岬]]'''」との出会い以降彼の曲の世界は転換期を迎え、通常の演歌歌手には無い趣向を持ち始める。
 
=== 独立 ===