「中畑清」の版間の差分

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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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中畑家は[[陸奥石川氏]]の一族で、[[前九年の役]]に[[源有光|石川有光]]の子の[[中畠光幹|九郎光幹]]が中畑と称したことからはじまる(『白河古事考』)。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にはその系統の国神城主の[[中畠晴辰|中畑晴辰]](はるとき)<ref>晴辰にとって中畑家は母系の血筋としてであり、父系の血筋は[[白河結城氏]]である。</ref>が抵抗したために、[[豊臣秀吉]]から[[改易]]されて、浪人・土農の[[落武者]]狩りで討たれた([[広瀬蒙斎]]『白河風土記』)。中畑はその晴辰の子孫である<ref>NHK『[[ファミリーヒストリー]]』2017年11月22日放送分</ref>。
 
祖父の代に、[[横浜市|横浜]][[戸塚区|戸塚]]で土木業を営み、成功したものの、瓦工場にモデルチェンジした後、失敗し息子の辰雄を含む一家とともに帰郷した。清は貧しい少年時代を過ごした。彼は後に「米に牛乳のせる生活体験したらどんなつらい生活でも耐えられるよ」と語っている。
 
その後、郷里での[[牧畜]]業で成功した結果、父辰雄にグローブを買ってもらったのがきっかけで、野球を本格的に目指すことなる。
 
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