「富岡八幡宮」の版間の差分

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伊佐坂安物の版にrv さしあたり実名は書くなと但し書きにもあるでしょう。
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[[1945年]]([[昭和]]20年)3月10日の[[東京大空襲]]により焼失。その再建に努めたのが第18代宮司の[[富岡盛彦]]で、[[1956年]](昭和31年)、現在の社殿が造営される。盛彦は後に神社本庁の事務総長(現在の総長)にもなり、神道の復興に努めた。
 
[[1994年]]([[平成]]6年)に盛彦の息子である第19代宮司の富岡興永が体調を崩して引退し、その長男の富岡茂永が[[1995年]](平成7年)に第20代宮司となったが、金遣いの荒さや女癖の悪さなどを理由に[[2001年]](平成13年)に解任され、先代の興永第19代宮司が宮司として復帰する<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASKD96DZ7KD9UTIL02J.html 宮司退いた弟が日本刀を手にするまで 富岡八幡宮事件]:朝日新聞デジタル(2017年12月9日)、2017年12月9日閲覧</ref>。第20代宮司の茂永は勘当状態となった後、新たに後継者とされた姉の富岡長子興永たちを恨んで脅迫を行ったり怪文書を撒いたりするなどしており、[[2006年]](平成18年)に脅迫罪で逮捕されている。
 
[[2010年]](平成22年)に興永第19代宮司が引退したため、富岡八幡宮はその長女の長子を宮司として任命するよう神社本庁に具申していたが、正式な宮司への就任具申が3度にわたり認められなかったため、長が「宮司代務者」となる宮司空席状態が7年ほど続いていた。そのため、富岡八幡宮は[[2017年]](平成29年)9月に[[神社本庁]]からの離脱を決定し、[[単立神社]]となり、長が第21代宮司に就任。[[別表神社]]としては、2010年(平成22年)の[[気多大社]]、2013年(平成25年)の[[梨木神社]]に続く本庁離脱となり、神社本庁のトップまで務めた有力神社の離脱として話題となった<ref>[http://diamond.jp/articles/-/134148 神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も]、週刊ダイアモンド、2017年7月5日</ref>。
 
2017年(平成29年)12月7日、当時の宮司の富岡長子とその運転手が、宮司の弟で第20代宮司の富岡茂永だった男とその妻に日本刀で襲われ長子宮司は死亡、運転手は重傷、容疑者の茂永は共犯者の妻を殺害した後に自殺した<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASKD86GNTKD8UTIL07J.html 宮司中傷の怪文書、殺害容疑の弟に警告 富岡八幡宮事件]朝日新聞デジタル 2017年12月9日</ref>。姉の長子が正式に宮司となったことで、弟である元宮司復帰などを求めていた茂永が自暴自棄になったとみられている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20171209/k00/00m/040/173000c 富岡八幡宮殺傷:神社本庁離脱に危機感 自暴自棄で襲撃か]毎日新聞ニュース(2017年12月8日)、2017年12月9日閲覧</ref>。
 
== 境内 ==