「シャルル1世 (ブルボン公)」の版間の差分

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[[百年戦争]]の間は[[ブルゴーニュ派]]に敵対する[[アルマニャック派]]の一員として[[フランス王国|フランス]][[フランス君主一覧|国王]][[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]に対して忠実であり、[[1428年]]から始まった[[オルレアン包囲戦]]では[[ジャン・ド・デュノワ]]、[[ラ・イル]]らと共に[[オルレアン]]の救援に赴いたが、[[1429年]][[2月12日]]の[[ニシンの戦い]]で包囲側の[[イングランド王国|イングランド]]軍輜重隊を叩こうとして[[ジョン・ファストルフ]]に逆襲され敗北、デュノワらと対立して勝手にオルレアンから離脱した<ref>エチュヴェリー、P169 - P172、ペルヌー、P378 - P380、樋口、P107 - P108。</ref>。しかしシャルル7世に引き続き仕え、同年9月では[[パリ包囲戦 (1429年)|パリ包囲戦]]に苦戦中の[[ジャンヌ・ダルク]]に使者としてシャルル7世の攻撃中止命令を伝達、[[1430年]]に[[コンピエーニュ]]へ派遣されフランスから[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ]]への引渡しを命じている(成功せず)<ref>ペルヌー、P150、P161、樋口、P120。</ref>。
 
[[1435年]]に[[アラス]]へフランス・ブルゴーニュ講和会議の使者の1人として参加、{{仮リンク|[[アラスの和約 (1435年)|en|Treaty of Arras (1435)|label=アラスの和約}}]]を締結させた。しかし、シャルル7世と[[アルテュール3世 (ブルターニュ公)|アルテュール・ド・リッシュモン]]大元帥が進める軍制改革と貴族への課税に反発、宮廷が[[メーヌ]]伯[[シャルル4世・ダンジュー|シャルル4世]]を中心とする派閥で占められ自派が排除されたことも重なり、[[1440年]]にデュノワや[[ヴァロワ=アランソン家|アランソン公]][[ジャン2世 (アランソン公)|ジャン2世]]など他の貴族達と共に[[ルイ11世 (フランス王)|ルイ]][[ドーファン|王太子]]を擁立して反乱([[プラグリーの乱]])を起こし、リッシュモンに早期鎮圧され所領の一部を没収されている<ref>エチュヴェリー、P214 - P217、P242 - P245、樋口、P144 - P147、P154 - P157、上田、P106 - P110、P112 - P126。</ref>。

1456年に55歳で死去、長男の[[ジャン2世 (ブルボン公)|ジャン2世]]が公位を継いだ。
 
== 子女 ==
[[1425年]]に[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ]][[ブルゴーニュ公一覧|公]][[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン無畏公1世]](無怖公)の娘[[アニェス・ド・ブルゴーニュ (1407-1476)|アニェス]]([[1407年]] - [[1476年]])と結婚した。2人の間には6男5女が生まれたが、ブルボン家嫡流の男系男子は息子の代で断絶することになる。
* [[ジャン2世 (ブルボン公)|ジャン2世]]([[1426年]] - [[1488年]]) - ブルボン公
* マリー([[1428年]] - [[1448年]]) - [[ロレーヌ公国|ロレーヌ]][[ロレーヌ公|公]][[ジャン2世 (ロレーヌ公)|ジャン2世]]
* フィリップ([[1430年]] - [[1440年]])
* [[シャルル2世 (ブルボン公)|シャルル2世]]([[1434年]] - [[1488年]]) - リヨン大司教、ブルボン公
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* ルイ([[1438年]] - [[1482年]]) - [[リエージュ司教領|リエージュ司教]]
* [[ピエール2世 (ブルボン公)|ピエール2世]]([[1438年]] - [[1503年]]) - ブルボン公
* [[マルグリット・ド・ブルボン (1438-1483)|マルグリット]]([[1439年]] - [[1483年]]) - [[サヴォイア公国|サヴォイア]][[サヴォイア公|公]][[フィリッポ2世・ディ・サヴォイア|フィリッポ2世]]の最初の妃、[[ルイーズ・ド・サヴォワ]]の母
* [[カトリーヌ・ド・ブルボン (1440-1469)|カトリーヌ]]([[1440年]] - [[1469年]]) - [[ゲルデルン公]][[アドルフ・ファン・エフモント|ゲルデルン公アドルフ]]
* ジャンヌ([[1442年]] - [[1493年]]) - [[オランジュ]]公[[ジャン2世・ド・シャロン]]
* ジャック([[1445年]] - [[1468年]]) - モンパンシエ伯