「ソロヴェツキー修道院」の版間の差分
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3fa6yf3m345236 (会話 | 投稿記録) →城の配置: 古儀式派による包囲戦犠牲者追悼十字架の設置について。 |
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「ソロヴェツキー諸島の文化と歴史遺産群」はソロヴェツキー諸島のブラゴポルーチヤ湾(ロシア語:{{lang|ru|бухта Благополучия}})沿いに位置している。ソロヴェツキー修道院の領地は、7つの門と8つの塔([[1584年]]から[[1594年]]にかけて、Trifonと呼ばれる建築家によって建てられた)を伴った高さ8-11m、厚さ4-6mの巨大な壁によって囲まれ、それらは主に長さ5mの巨石から成っている。修道院内には宗教的な建物もあり(主要な物は屋根付きの湾曲した通路によってお互いに連絡している)、それらは複合的な住居や居住区によって囲まれている。[[生神女就寝大聖堂]](ウスペンスキー大聖堂、[[1552年]] - [[1557年]]築)に付随する食堂(500m²)や、[[救世主顕栄大聖堂]](プレオブラジェンスキー大聖堂、[[1556年]] - [[1564年]]築)、[[生神女福音大聖堂]](ブラゴヴェシェンスキー大聖堂、[[1596年]] – [[1601年]])、stone chambers([[1615年]])、水車小屋(17世紀初頭のもの)、鐘楼([[1777年]])、ニコライ聖堂([[1834年]])などがその例である。
今日では、ソロヴェツキー修道院は歴史および建築史の博物館としての役割を負っている。ロシア国内で最も早く[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録された建造物でもある。修道院では修道士たちが[[正教徒]]としての生活を復興しつつあり、現在約10名の修道士達が修道院で暮らしている。ソ連崩壊以来、修道院は修復・補強されており、現在もそれは続いている。2002年8月末には古儀式派の教会の代表者らの
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