「三輪田勝利」の版間の差分

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=== 死後 ===
新垣は三輪田の死後、球団本部長の[[矢野清]]と面会した。自らがオリックス入団を拒否し、面会を拒否したことで三輪田が自ら命を絶ったことに責任を感じ、「(野球を辞めるべきか)悩んだ時期もあった」という。また、三輪田夫人から「(三輪田の死は)あなた(新垣)のせいではない。これからも頑張って」と激励された。新垣は大学時代の「[[JNN報道特集]]」([[TBSテレビ]])のインタビューで、「自分が活躍することが、最初に評価してくれた三輪田さんへの恩返し」と語った。なお、新垣は、オリックスのユニフォームを着ることはなく、2016年に引退。現在はホーソフトバンの球団職員として勤務している。
 
イチローは幼少期より地元の[[中日ドラゴンズ]]入団を熱望していたが、当時中日の監督だった[[星野仙一]]<ref>星野は閉幕直前に辞意を表明し、ドラフト会議時点では[[高木守道]]に監督が交代していた。</ref>が獲得に消極的だったことや、三輪田の誠意・説得もありオリックス入団を決めた(オリックスの前監督で球団専務の[[上田利治]]や顧問スカウト[[木庭教]]は線が細すぎる事を理由に指名を反対していた)。生前、両者は上下関係を弁えた上で互いの家族を交えたプライベートの交流もあった。三輪田の自殺を知ったイチローは涙し、告別式では三輪田の棺に自身愛用のバットを納め、渡米後も帰国時には三輪田家の[[墓]]参りを欠かさない。
 
1999年にオリックスに入団した[[山口和男 (野球) |山口和男]]は、活躍する度に、生前のスカウト活動の恩義から「今の自分があるのは三輪田さんのおかげ」と発言している。三輪田の死後も、イチロー・山口らは遺族と交流を続けている。