「志怪小説」の版間の差分

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[[宋代]]にも伝奇小説が書き継がれたが、過去の史料の収集という観点で志怪回帰的な作品も生まれ、[[洪邁]] 『[[夷堅志]]』などがある。
 
六朝時代の原本は現代にはまったく残っていない。これらは[[宋 (王朝)|宋代]]に[[太宗_(宋)|太]]が命じて編纂した『[[太平広記]]』で収集されて残った。また唐代にかけて作られた[[類書]]である『[[芸文類聚]]』『[[北堂書鈔]]』『[[初学記]]』などに、志怪小説、志人小説からの採録がある。『太平広記』と同時期の類書『[[太平御覧]]』にも志怪・志人小説からの部分転載が多い。[[南宋]]の曽慥 『類説』や、[[明]]の[[陶宗儀]] 『[[説郛]]』でも収集され、明・[[清]]には志怪や伝奇が叢書の形で『五朝小説』『唐人説薈』『竜威秘書』『秘書二十一種』などが印刷出版され、[[日本]]でも[[江戸時代]]以降に広く読まれた。中でも明の顧元慶[[:zh:顾元庆|(中国語版)]]『顧氏分房小説』、[[毛晋]]『[[津逮秘書]]』(清代に『学津討原』に改訂)が後年にも刊行されている。ただしこれらのテキストは、原本のままでなく後人の手が加えられている可能性が高い。
 
==小説史での位置付け==