「ひめゆりの塔事件」の版間の差分

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=== 事件後の皇族訪問 ===
皇族の沖縄訪問に際して賛否両論が巻き起こり、後の[[第42回国民体育大会|海邦国体]]では警戒された。昭和天皇の訪問は病のために実現できず、そのまま生涯を閉じた。しかし皇太子明仁親王は、十八万余柱が眠る摩文仁の丘で「深い悲しみと痛みを覚えます」と昭和天皇のお言葉を代読した。「これでやっと気持ちに区切りがついた」と声を詰まらせる人がいた反面、左翼系が会場での出迎えを欠席するなど、沖縄の複雑な事情をのぞかせた。集まった歓迎陣は「[[天皇]][[陛下]]の御治癒を心からお祈り申し上げます」「天皇陛下のお言葉を心から感謝申し上げます」などと書いた横断幕を掲げた。
 
=== その他 ===
* 知念の[[勾留]]中の[[1977年]][[9月28日]]、[[ダッカ日航機ハイジャック事件]]が発生し、この犯人グループが知念を含む9名の釈放を要求したが、知念はこれを拒否している。
* 当時、ひめゆりの壕で取材に当たっていた地元紙[[沖縄タイムス]]の記者は、[[TBSテレビ|TBS]]の番組において「怪しい男がいたので注目していました」と発言し、スタジオの出演者からも「スクープですね」と絶賛されていたが、「怪しい男」の存在に気づいていたにも拘らず警察に通報しないことは軽率なスタジオやマスコミ関係者共々批判を呼んだ。
* 川野は事件の35年後の2010年に[[名護市]]議会議員選挙で、[[ (日本 1996-)|社民党]]の推薦をうけ立候補、当選している。事件のことは投票日直前に一部[[市民]]の間で流れたが、ほとんどの市民は知らなかったという<ref>[http://megalodon.jp/2010-1010-0126-36/sankei.jp.msn.com/politics/local/101009/lcl1010092246003-n2.htm 皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結? 2/2P] 産經新聞 2010年10月9日</ref>。
 
== 参考文献 ==