「岡倉天心」の版間の差分

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* [[1905年]](明治38年)、9月渡米<ref>[{{NDLDC|1920426/264}} よみうり抄]新聞集成明治編年史. 第12卷、林泉社、1936-1940</ref>。
* [[1906年]](明治39年)、美術院の拠点を茨城県五浦に移す。この団体は天心の活動が鈍るにつれて活動も減少するが天心の没後、大観らによって再興された。
* [[1907年]](明治40年)、三回目のボストン美術館勤務のため渡米<ref name="repo1"/>。[[正五位]][[勲六等]]に叙され、8月に美術審査委員会委員に就任<ref>[{{NDLDC|1920436/174}} 美術審査委員会委員決定]新聞集成明治編年史. 第12卷、林泉社、1936-1940</ref>。10月、文部省公設展覧会の出品締め切りに遅れた家・[[高橋]]のために会場の一部を私費で借りて展覧会を開催<ref>[{{NDLDC|1920436/190}} 岡倉天心の義侠]新聞集成明治編年史. 第12卷、林泉社、1936-1940</ref>。
* [[1910年]](明治43年)、ボストン美術館理事長のエドワード・ホームズ(Edward Jackson "Ned" Holmes<ref>[http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=112278179 Edward Jackson "Ned" Holmes]Find A Grave</ref>。日本美術愛好家で妻は日本人<ref name="repo1"/>)の支援でボストン美術館に東洋部を設けることになり、ヨーロッパの美術館東洋部の視察ののち<ref name="repo1"/>、ボストン美術館中国・日本美術部長に就任。
* [[1911年]](明治44年)、9月帰国<ref>[{{NDLDC|1920445/278}} 明治44年の美術界]新聞集成明治編年史. 第14卷、林泉社、1936-1940</ref>。