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'''磁石の山'''(じしゃくのやま)あるいは'''磁石山'''とは、[[磁力]]によって鉄を引き寄せるといわれていた山。近くを通る船を引き付けたり、[[方位磁針|羅針盤]]の向きを変えたりすると考えられていた。'''磁石の島'''('''磁石島''')と呼ばれることもある。
 
== インド近海の磁石の山伝説 ==
[[磁石]]が鉄を引きつけることは古代から知られていたが、磁石の山の伝説もまた、古代から伝えられている。[[古代ローマ]]の博物学者[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]]は、著書『[[博物誌]]』第2巻において、次のように記している<ref>[[#山本1(2003)|山本1(2003)]] p.116</ref>。
 
{{Quotation|インダス河の近くに2つの山があって、そのひとつは鉄を引きつける性質があり、いまひとつは鉄を退ける性質がある。したがって人が釘を打った靴を履いていると、一方の山の上では一歩毎に足を地面から引き離すことができないし、いま一方の上では足を地面につけることができない。}}
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時代は下って、10世紀後半にブズルク・ブン・シャフリヤールが編纂した『インドの驚異譚』では、小中国の主都ハーンフーと大中国の首都フムダーンの間を流れる川には幾つもの磁石の山々があり、鉄を積んだ船を吸い寄せるという記述がある<ref>[[#シャフリヤール(2011)|シャフリヤール(2011)]] pp.282-283</ref>。また、[[1356年]]に書かれた[[ジョン・マンデヴィル]]の『[[東方旅行記]]』には、インドの皇帝[[プレスター・ジョン]]の領海には巨大な磁石の岩があり、さらにそこから離れたケルメスという島にも海中に磁石の岩があるので、船を造るのに釘や鉄のたがを使わないと記載されている<ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.376</ref><ref>[[#織田(1998)|織田(1998)]] p.276</ref>。さらに、15世紀にドイツ大衆の間で広く読まれていた『[[クロンファートのブレンダン|聖ブランダン航海譚]]』にも、「粘りつく魔の海」には磁石があって、近づく鉄をことごとく引き付けると述べられている<ref>[[#藤代(1999)|藤代(1999)]] p.14</ref><ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] pp.376-377</ref>。この時代の書物はフィクションとノンフィクションの境があいまいなため、どこまでが事実として書かれているかはっきりしないが、当時の人々はこれらの話を事実として信じていた<ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.377</ref>。
 
[[1492年]]に[[マルティン・ベハイム]]によって作られた現存する世界最古の地球儀では、[[ジャワ島]]の北東にプトレマイオスが語ったマニオライ諸島が描かれ、「磁石があるために、鉄をもつ船は近くを航行することはできない」と書かれている<ref name="oda280">[[#織田(1998)|織田(1998)]] p.280</ref>。しかし[[1498年]]、[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]によってインド航路が開拓され、インド洋海域の知識が得られるようになると、インド近海における磁石の山は地図から姿を消した<ref name="oda280"/><ref name="yamamoto379">[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.379</ref>。
 
== 北極圏の磁石の山伝説 ==
[[File:Starkad.jpg|right|300px|thumb|[[オラウス・マグヌス]](Olaus Magnus)による[[カルタ・マリナ]]([[1539年]])の一部。現在の[[ムルマンスク]]沖に「Insula Magnetu[m]」([[ラテン語]]で「磁石の島」の意味)と信じられてきた磁極の位置が描かれている。[[ルーン文字]]の書かれた準尺を手にする男は、スカンディナヴィア人の英雄[[スタールカーズ]]。]]
 
磁石、および磁石で擦った鉄は南北方向を指す。この事実を記した最古の文献は、[[]]の[[沈括]]が[[1088年]]ごろに書いた『[[夢渓筆談]]』である<ref>[[#山本1(2003)|山本1(2003)]] pp.179,187-188</ref>。ヨーロッパでは、12世紀末には磁石で擦られた鉄が航海で使われていた<ref>[[#山本1(2003)|山本1(2003)]] pp.186</ref><ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.380</ref>。
 
そして[[大航海時代]]に入る頃になると、磁石の山があるとされる場所は、インド周辺から[[北極圏]]へと移動した<ref name="yamamoto378">[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.378</ref>。たとえばヨハン・ルイシュによって[[1508年]]に作られた世界地図では、北極圏に磁石の山が描かれ、「そこでは羅針儀は役に立たず、鉄製の船は戻ることができない」と記されている<ref name="yamamoto378"/><ref>[[#織田(1998)|織田(1998)]] p.282</ref>。さらにルイシュの地図には、磁石の山に向かって沈み込むような海流が描かれている。磁石の山の近くで海流が渦巻いている描写や記述は他の著者の作品にも見られる。これは、古くから知られていた船の難所である[[ロフォーテン諸島]]の[[渦潮]]が元になっていると考えられ、渦潮が船を引き寄せることと、磁石が鉄を引き寄せることが結びついたのではないかと推測されている<ref>[[#織田(1998)|織田(1998)]] pp.282-283,293-294</ref>。
 
他にも、[[オラウス・マグヌス]]が[[1555年]]の著書『[[北方民族文化誌]]』で、「極北には、それによって海の方位が決まる磁石の山がある」と書いており<ref name="yamamoto378"/>、[[ジローラモ・フラカストロ]]や{{仮リンク|フランキスクス・マウロリクス|en|Francesco Maurolico}}も北極圏にある磁石の山について述べている<ref name="yamamoto379"/>。
 
この時代の人々が磁石の山の存在を信じた大きな理由の1つが、前述の、磁石は南北方向を指すという事実だった。つまり、[[方位磁針]]が北を指すのは北極圏にある磁石の山に引っ張られているからだ、ということなのであるが、実のところ、15世紀以前には「磁石の力は天の極から来ている」あるいは「磁石の力は[[北極星]]から来ている」などと主張されていたため、磁石を引きつける源を磁石の山のような地球上の点に位置付けることは、それ自体が磁力への認識を転換させるものであった<ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] pp.379-380</ref>。
 
== 磁極の発見 ==
[[File:Mercator north pole 1595.jpg|thumb|right|250px|1595年のメルカトルの世界地図。図の中央が[[北極点]]で、山が描かれている。]]
磁石の山の伝説は[[ゲラルドゥス・メルカトル]]によって大きな発見をとげた。メルカトルは、当時研究されていた磁気偏角(方位磁針の指す向きが、場所によって真北からずれること)に着目した。そして、もし磁石が天の極や[[北極星]]を指しているのであれば、地球の[[日周運動]]によって磁気偏角は変化していなければならないが、実際には同一地点での磁気偏角は常に一定である<ref group="注釈">この指摘自体は、メルカトル以前に{{仮リンク|マルティン・コルテス|en|Martín Cortés de Albacar}}によって語られていた。しかし、コルテスは磁石の指す方向を地球上とは考えなかった([[#山本2(2003)|山本2(2003)]] pp.403-406)。</ref>として、磁石の指し示す地点は、天ではなく地球上にあると考えた<ref group="注釈">ただし現在では、磁気偏角は常に一定ではなく、年月とともに変化することが明らかになっている。</ref><ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] pp.407-408</ref>。メルカトルは磁気偏角の観測値からこの地点を求め、[[1587年]]と[[1595年]]に自らが作成した地図に描き、「'''[[北磁極|磁極]]'''(polus magnetis)」と記した<ref name="yamamoto410">[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.410</ref>。この磁極は山のような形で描かれているが、これまで信じられていた磁石の山や磁石の島のように、航海の際に危険になるという記述は無い<ref name="yamamoto410"/>。
 
このメルカトルの研究によって、伝説的だった磁石の山は、[[地球科学]]的な磁極へと生まれ変わったと考えられている<ref name="yamamoto410"/>。メルカトルの研究は、発表当時はさほど受け入れられなかったが<ref>[[#織田(1998)|織田(1998)]] p.288</ref>、磁極の発見はやがて、地球は1つの大きな磁石であるという[[ウィリアム・ギルバート (物理学者)|ウィリアム・ギルバート]]の理論へとつながることになる<ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.411</ref>。
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{{Quotation|明日になると、私どもは「磁石の山」と呼ばれる黒い岩の山に着くことでございましょう。そして潮は否応なく私どもをその山の方にひっぱって行って、やがて私どもの船は微塵に粉砕されてしまうでしょう。なぜかと申しますると、船の釘が全部、磁石の山に引き寄せられて飛び去り、山の腹に吸いついてしまうのです。というのは、至高のアッラーはこの磁石の山に秘かな効験を授けたまい、こうしてこの山はおよそ鉄で出来ているあらゆるものをみな自分の方に引きつけてしまうからでございます!}}
 
このほか、12世紀の[[ペトラルカ]]の詩にも、インドにあるという磁石の山の記述がある<ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.373</ref>。また、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]が[[1774年]]に発表した『[[若きウェルテルの悩み]]』にも、主人公が、祖母に聞かされた、船が近づくと金具や釘が吸われてしまうという磁石の山の話を思い出す場面があるが、この山がある場所については言及されていない<ref>[[#ゲーテ(1951)|ゲーテ(1951)]] p.67</ref><ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.377-378</ref>。[[ジュール・ヴェルヌ]]の『[[氷のスフィンクス]]』にも磁石の山が登場するが、場所は[[南極大陸]]となっている<ref>[[#ヴェルヌ(1994)|ヴェルヌ(1994)]] p.520</ref>。これは、[[南極]]が当時残された数少ない未知の世界だったからだと考えられる<ref>[[#山本2(2003)|山本2(2003)]] p.379</ref>。
 
==関連項目==
59行目:
|title=氷のスフィンクス
|others=古田幸男訳
|publisher=[[集英社]]
|isbn=978-4087602302
|ref=ヴェルヌ(1994)}}
66行目:
|year=1998|month=11
|title=古地図の博物誌
|publisher=[[古今書院]]
|isbn=978-4772216845
|ref=織田(1998)}}
85行目:
|title=若きウェルテルの悩み
|others=高橋義孝訳
|publisher=[[新潮社]]
|isbn=978-4102015018
|ref=ゲーテ(1951)}}
93行目:
|title=インドの驚異譚1―10世紀<海のアジア>の説話集
|others=家島彦一訳
|publisher=[[平凡社]]
|isbn=978-4582808131
|ref=シャフリヤール(2011)}}
100行目:
|title=完訳 千一夜物語1
|others=豊島与志雄,佐藤正彰,渡辺一夫,岡部正孝訳
|publisher=[[岩波書店]]
|isbn=978-4003278017
|ref=豊島他訳(1988)}}
107行目:
|year=1999|month=3
|title=聖ブランダン航海譚―中世のベストセラーを読む
|publisher=[[法政大学出版局]]
|isbn=978-4588276170
|ref=藤代(1999)}}
115行目:
|title=エリュトゥラー海案内記
|others=村川堅太郎訳注
|publisher=[[中央公論社]]
|isbn=978-4122020412
|ref=村川訳注(1993)}}
131行目:
|year=2003|month=5
|title=磁力と重力の発見1 古代・中世
|publisher=[[みすず書房]]
|isbn=978-4622080312
|ref=山本1(2003)}}
148行目:
[[Category:神話・伝説の土地]]
[[Category:幻島]]
[[Category:中世の伝説]]
[[Category:インド洋]]
[[Category:北極の歴史]]
[[Category:大航海時代]]