「本願寺の歴史」の版間の差分

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[[正安]]4年(1302年)、覚恵と[[唯善]](親鸞の孫で覚恵とは[[兄弟姉妹#異父母兄弟姉妹|異父弟]])の間に起こった大谷廟堂の留守職就任問題([[唯善事件]])が勃発する。
 
[[延慶 (日本)|延慶]]2年(1309年)7月、[[青蓮院]]<ref>壮一郎論文(2005年、P19-23)によれば、妙香院が正しいとされる。</ref>により覚恵の長男である覚如が継承することと裁定が下される。敗れた唯善は「大谷廟堂」を徹底的に破壊して鎌倉へ逃亡する。
 
延慶3年(1310年)、覚如が東国(関東)の門徒の了承を得て、大谷廟堂の「留守職」を継承する。(~1314年、1322年~1338年、1342年~1350年〈委譲・復職を繰返す。〉) このことから、大谷廟堂が寺院化した後も、本願寺法主は血縁によって継承されるようになる。