「虹色のトロツキー」の版間の差分

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== あらすじ ==
[[1938年]]([[昭和13年]]、幼い頃トロツキーに似た何者かに家族を虐殺され、自身も記憶を失った日蒙混血の青年ウムボルトが[[建国大学]](建大)に編入してくるところから話が始まる。ウムボルトは周囲とぶつかったりもしながら学生生活を送りながら、自らの失った記憶と混血故に曖昧なアイデンティティを求めていた。ウムボルトの後見者でもある[[関東軍]]の[[石原完爾]]や合気道師範の[[植芝盛平]]らによってウムボルトの亡き父が陸軍の謀略と関わっており、それが記憶を失う原因につながっているらしいことを掴むが、はっきりしたことは分からずじまいだった。そして石原が本国に更迭されたことで、ウムボルトの後見は石原の部下であり信奉者でもある野心家[[辻政信]]に一任される。もともと石原自身がウムボルトの記憶を利用しようとしていた(そしてウムボルトの父親の謀略を進めようとしていた)とはいえ、石原は謀略の犠牲となったウムボルトへの贖罪の意図もあって建大に編入させていたようだが、辻はもはやウムボルトを謀略のための手駒としてしか見ていなかった。辻は露骨にウムボルトを利用しようとするが、警備の隙をついた[[ソビエト連邦|ソ連]]のスパイによってウムボルトは拉致されてしまう。
 
[[ハバロフスク]]に送られそうになったウムボルトだったが、かつてウムボルトを抗日運動に誘った孫逸文ことジャムツら抗日戦線のメンバーによって救出されることになる。抗日戦線の宋丁良らの密告によってウムボルトの生存を確認した辻も、かつて抗日運動をしていた時に一度ウムボルトを逮捕したことのある奉天特務機関の楠部に指示を出しウムボルト確保に乗り出した。混乱の中ジャムツとはぐれたウムボルトは、さらに直接対決の末に楠部を殺害してしまうことになる。これにより表社会に戻れなくなったウムボルトであったが、堂々と日本人と戦い勝利する彼を見た宋丁良は心服し、自分たちの頭目にウムボルトを迎え、[[謝文東]]を頼るべく進言した。謝文東のもとでは中国人や朝鮮人らとともに[[馬賊]]として、建国大学で学習した知識や技術によって活躍するが、同時に宋を失うことにもなる。宋の死後は宋部隊を名実ともに引き継ぎ、その実績によって謝文東からも篤く信頼を置かれた。しかし、馬賊は日本軍の工作により既に壊滅は時間の問題であった。