「パリの解放」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
仮リンクの追加
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
37行目:
フランス国内軍も休戦に合意したが、翌8月20日午後には一部の兵士がゲリラ的戦闘を再開した。コルティッツ大将はノルドリンク総領事を通じて「攻撃を停止しなければ、パリを空襲し、本職に与えられたパリ破壊命令を最大限に実行する用意がある」と警告した<ref>児島「ヒトラーの戦い」、264p</ref>。ヒトラーもパリの被害を考慮せず、市の内外で戦うべきであると西方軍集団司令官[[ヴァルター・モーデル]]元帥に命令した。フランス国内軍は連合軍の早期到着が必要であると考え、ガロワ少佐とノルドリンクの弟ロルフを中心とする2つの連絡班をアメリカ軍前線に派遣した。
 
その間に連合軍はパリ周辺の攻略を行い、8月21日にはパリ南方にある{{仮リンク|ルビーエ|en|Rubelles}}、[[ムラン]]、{{仮リンク|モントロー=シュル=ル=ジャルド|en|Montereau-sur-le-Jard}}向かい、最終的にパリ東方にある{{仮リンク|サン (セーヌ=エ=マルヌ県)|en|Saints, Seine-et-Marne|label=サン}}を占領した。そのためモーデル元帥はパリ防衛が不可能であると考え、パリの東と北で防衛する計画を具申した。しかしヒトラーはこれを退け、パリの東ではなくパリで防戦するよう命令した<ref>児島「ヒトラーの戦い」、265p</ref>。
 
=== 連合軍のパリ進軍決定 ===