「サリンプラント建設事件」の版間の差分

1995年3月の強制捜査で全貌が判明すると、「農薬[[DDVP]]を製造するための工場建設に失敗したので神殿にしただけ」と主張した<ref >オウム出版『ヴァジラヤーナ・サッチャ no.9』1995年 p.167</ref>。
 
第7サティアンは[[東京地察庁]]に押収され、その後[[上九一色村]]に無償譲渡<ref name="hh7" />。[[日本政府]]は[[化学兵器禁止機関]](OPCW)に、第7サティアンを[[化学兵器禁止条約]]上の「化学兵器生産工場」として申告し、それに対し、1997年7月および1998年9月の2回にわたりOPCWの査察を受け、1998年11月前半に解体が始まり、1998年12月後半に解体終了。解体の最終段階にはOPCWの査察団が立ち会い、施設の廃棄を確認した<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/gun_hakusho/2002/hon3_1.pdf 化学・生物兵器の軍縮・不拡散に向けた取り組み] 外務省</ref>。
 
これらの事件によって、麻原を含めオウム真理教幹部19人が[[殺人罪 (日本)#殺人予備罪|殺人予備罪]]で[[起訴]]された。
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