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[[1953年]]、日本生物地理学会の会長に就任。畢生の論文「ドードーとその一族、またはマスカリン群島の絶滅鳥について」([[1953年]])を[[北海道大学]]に提出、[[理学博士]]号を取得したが、まもなく[[狭心症]]により[[熱海市]]で死去。享年50。墓所は蜂須賀家歴代の墓所のある[[徳島市]]の[[徳島藩主蜂須賀家墓所|万年山墓地]]。法名は理光院。
* 熱海には江戸時代から蜂須賀家別邸があり、正氏は昭和初期から熱海に住んでいた。現在、その別邸跡地には[[熱海市立図書館]]などがある。
* 1923年(大正12年)の[[関東大震災]]で蜂須賀家の敷地に沸いた源泉の量が多すぎた為、行政に管理を依頼したものが熱海市営温泉の第一号となる「蜂須賀湯」(閉鎖済)。これをきっかけに熱海では源泉の町管理が進み、住人であれば誰でも町有温泉から内湯を引くことができるようになった。<ref>『近代日本における資源管理 : 温泉資源を事例に』高柳友彦 2009年3月 [[東京大学]]学位論文</ref>