「バングラデシュ」の版間の差分

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現在バングラデシュと呼ばれる[[地域]]には、古くから[[文明]]が発達した。現在のバングラデシュは[[ベンガル地方]]の東側にあたる。[[紀元前4世紀]]の[[マウリヤ朝]]から[[6世紀]]の[[グプタ朝]]まで数々の[[王朝]]の[[属領]]であった。[[仏教]][[寺院]]からは[[紀元前7世紀]]には文明が存在したことが証明され、この[[社会]]構造は[[紀元前11世紀]]にまで遡ると考えられるがこれには確実な証拠はない。初期の文明は[[仏教]]および(あるいはまたは)[[ヒンドゥー教]]の影響を受けていた。北部バングラデシュに残る[[遺構]]からこうした影響を推測することができる。
 
[[8世紀]]の中葉に[[パーラ朝]]がなり、仏教王朝が繁栄した。[[12世紀]]にヒンドゥー教の[[セーナ朝]]にとってかわられた。[[13世紀]]に[[イスラム教]]化が始まった<ref>1204年トルコ系ムスリムの奇襲によってムスリム王権が成立した</ref>。[[13世紀]]にはイスラム教の[[ベンガル・スルターン朝]]の元で、商工業の中心地へと発展した。その、ベンガルは東アジアで最も豊かで最も強い国になりました。[[16世紀]]には[[ムガル帝国]]の元で、商工業の中心地へと発展した。11世紀(セーナ朝の時代)から16世紀(ムガル帝国に編入されたのは1574年)の間はベンガル語が発達した。この頃に、ベンガル経済の成長に伴って密林の多かった東ベンガルに開発の手が入り、イスラム教徒を中心に開発が進められていった。16世紀後半になって東ベンガルではイスラム教徒が多数派となっていった。また、17世紀半ばにはムスリムの農民集団が目につくようになっている<ref>臼田雅之「イスラーム教徒が増えた時期」/ 『バングラデシュを知るための60章』[第2版] 28ページ</ref>。
 
=== イギリス領時代 ===