「小倉藩」の版間の差分

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[[安永]]6年(1777年)[[犬甘知寛]](いぬかい ともひろ)が家老に就任し藩財政改革を行った。犬甘の努力により[[寛政]]10年(1798年)頃には財政も好転し銀8千貫の貯蓄ができるまでになったが、反対派の陰謀により[[享和]]3年(1803年)に失脚、無実の罪により入牢しそこで非業の死を遂げた。その後藩内では重臣間の派閥争いが続くこととなった。
 
文化8年([[1811年]])第6代藩主[[小笠原忠固]]の時代に[[文化の変]]とも[[白黒騒動]]とも呼ばれる[[御家騒動]]が勃発
 
[[文政]]3年(1820年)には郡代[[杉生貞則]]による産業振興策が始まり、[[今川 (福岡県)|今川]]の河川改修、各地の道路整備、[[豊前市#港湾|宇島港]]築港などが行われた。
 
文政年間には[[村方騒動]]も起こった。
 
[[幕末]]の[[安政]]元年(1854年)には家老[[島村志津摩]]と郡代[[河野四郎]]らによる藩政改革が始まる。農産品・[[石炭]]・焼物などの主要産品の集荷と販売を藩機構によって管理し、生産者を育成する一方で販路を開拓、また[[庄屋]]層の農村運営を検査して綱紀粛正を徹底した。