「ジャン・シメオン・シャルダン」の版間の差分

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[[1699年]]、パリで家具職人の父親のもとに生まれた<ref>この節の伝記的事実は以下を参照:ピエール・ローザンベール(伊藤已令訳)「シャルダン略年譜」(『シャルダン展 静寂の巨匠』図録、三菱一号館美術館、2012);Philip Conisbee, "Chardin, Jean-Siméon" (''Grove Art Dictionary'', Oxford UP, 2007);Philip Conisbee, ''Chardin'' (Oxford: Phaidon, 1985)</ref>。1718年から[[歴史画]]を得意としていたカーズ(Pierre-Jacques Cazes)の工房に入って画業を開始。[[1720年]]にはコアペル(Noël-Nicolas Coypel)にも短期間師事し、その間に静物画を描く助手をつとめたことがあるらしい。
 
[[1728年]]に《赤エイ》で認められて[[王立絵画彫刻アカデミー]]の正会員となったが、その後も生計を立てるため[[フォンテーヌブロー宮殿]]の修復作業などに参加している。[[1730年|30年]]頃から静物画の作品が増え、台所の食器類や食材などを題材とする作品が制作されている。
 
[[1731年|31年]]からは[[サロン・ド・パリ]](官展)に出品を開始。この年にマルグリト・サンタールと結婚、11月には息子ジャン=ピエールが洗礼を受けている。
 
[[1733年|33年]]頃からは[[風俗画]]の作品が増え始め、その大半が食卓の情景やカード遊びに興じる子供などセーヌ左岸の日常生活を主題とする。[[1735年|35年]]、妻が死去。[[1740年|40年]]に[[ヴェルサイユ宮殿|ヴェルサイユ宮]]へ参内して献上した《働き者の母》と《食前の祈り》はシャルダンの作品としては特に知られている。[[1744年|44年]]にフランソワ=マルグリト・プジェと再婚。
 
[[1752年]]以降、国王の年金を受けており、また[[1755年|55年]]からはアカデミーの会計官をつとめたほかサロンの陳列委員も任され、[[1757年|57年]]に[[ルーヴル宮殿]]にはアトリエ兼住居を授かっている。これは絵画のなかで[[歴史画]]に最高の価値が置かれていた当時、風俗画家としては異例の名誉で、彼の作品の買い手や注文主の多くも、国内外の王侯貴族だった<ref>鈴木杜幾子『フランス絵画の「近代」』講談社、1995, p. 16 </ref>。とくに[[エカチェリーナ2世]]は、サンクト・ペテルブルクにあるアカデミーの建物のために装飾画を注文しているし、他にも風俗画を含む数点のシャルダン作品を所有していた(《芸術の寓意とその報償》など)。
 
晩年は息子の溺死 ([[1772年]])、アカデミー会計官の解任 ([[1774年]])と不遇が続き、[[1779年]]に死去した。作品総数は201点<ref>Pierre Chardin: ''Tout l'oeuvre peint de Chardin'' (Paris; Flammarion, 1983)</ref>。
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ファイル:Jean-Baptiste_Siméon_Chardin_003.jpg|《食前の祈り》<br /><small>1740年、油彩<br /> (49.5x39.5 cm)<br />ルーヴル美術館</small>
ファイル:Jean-Baptiste Siméon Chardin 016.jpg|《朝の身繕い(部屋着)》<br /><small>1741年、油彩<br /> (49x39 cm) <br />ストックホルム国立美術館</small>
Fileファイル:Jean Siméon Chardin - Retrato de Auguste Gabriel Godefroy.jpg|《さいころ独楽に見入る宝石商ゴドフロワ氏の息子(さいころ独楽をする子供)》<small><br/>1738年、油彩<br/> (67x76 cm)<br/> ルーヴル美術館</small>
Fileファイル:Chardin, Jean-Siméon - The Good Education - Google Art Project.jpg|《良き教育》<br/><small>1753年頃、油彩<br/> (41.4x47.3 cm) <br/>ヒューストン美術館</small>
ファイル:Jean-Baptiste_Siméon_Chardin_013.jpg|《手紙に封印をする女性》<br /><small>1733年頃、油彩<br /> (146x147cm) <br />シャルロッテンブルク宮(ベルリン)</small>
ファイル:Jean-Baptiste_Siméon_Chardin_002.jpg|《ラケットを持つ少女(羽根を持つ少女)》<br /><small>1737年、油彩<br /> (81x65 cm) <br />個人蔵</small>
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; 書籍
* 大野芳材「第六章 ジャン・シメオン・シャルダン」(『フランス近世の美術 — 国王の美術から市民の美術へ — 』財務省印刷局、2003)