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[[新潟明訓中学校・高等学校|新潟明訓高等学校]]、[[日本大学]]藝術学部演劇学科演技コース卒。大学時代は[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属した。
 
[[1983年]]脚本家[[三谷幸喜]]らによる劇団[[東京サンシャインボーイズ]]旗揚げ時のメンバーと解されることがあるが、実際は劇団の活動時期としては後期のメンバーである。三谷とは日藝の同期であったが、卒業後は就職しサラリーマンになっていた。しかし、ある時三谷と再会、サンシャインボーイズへ参加することとなった。初参加は[[1990年]][[7月]]の『[[12人の優しい日本人]]』初演舞台から。以降のほとんどの三谷作品に出演した。[[2000年]][[10月]]、『[[ショムニ (テレビドラマ)|ショムニ]]』の撮影で出会ったスタイリストの女性と交際半年でスピード結婚。
 
『[[踊る!さんま御殿!!]]』に出演した際にドラマで見せるしっかりした演技とは裏腹にオドオドした素の顔を見せ、その後もさまざまなバラエティ番組に出演した。
 
しかし2002年[[5月24日]]午後5時18分、伊藤はレギュラー出演していたテレビドラマ『ショムニ』の続編『[[ショムニFINAL]]』の撮影数日前にくもクモ膜下出血のため40歳の若さで急死した。通夜は5月28日、告別式は5月29日から共に東京都中野区の[[宝仙寺]]で行われた。この時『ショムニ』の出演者で会見に応じたのは[[石黒賢]]のみであったが、会見中はばからず涙した。葬儀委員長は三谷、喪主は伊藤の妻がそれぞれ務めた。伊藤の遺体は[[新宿区]]の[[落合斎場]]で[[火葬|荼毘]]に付された。
 
『ショムニFINAL』の第1回は伊藤の追悼に捧げられ、そのエンディングで「ご冥福をお祈りします」とのテロップが付された(『ショムニFINAL』以降は野々村課長の代役は立てられず、海外赴任中との設定となった)。