「カカ (サッカー選手)」の版間の差分

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|代表成績更新日=2016年6月3日
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'''カカ'''({{Pt|'''Kaká'''}}, 本名:リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ、{{Pt|Ricardo Izecson Dos Santos Leite}}, [[1982年]][[4月22日]] - )は、[[ブラジル]]・首都[[ブラジリア]]出身の元[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]][[プロサッカー選手|サッカー選手]]。ポジションは[[ミッドフィールダー]]、[[フォワード (サッカー)|フォワード]]
 
== 経歴 ==
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==== ACミラン時代 ====
2003年、850880万ユーロ(約12億円)の移籍金で[[ACミラン]]へ移籍。サンパウロでは背番号8番を、[[2002 FIFAワールドカップ]]では23番をそれぞれ着けていたが、ミランでは既に[[ジェンナーロ・ガットゥーゾ]]と[[マッシモ・アンブロジーニ]]がそれぞれの背番号を着けていたため、自身の誕生日の日付にちなんで22番を背負うことになった<ref name="[[ワールドサッカーダイジェスト]]』第258号" />。入団時のメディカルチェックでは特にずば抜けていた加速値と絶対スピードの項目をはじめ、それまでの選手とはかけ離れて高い数値を記録。ミランラボの担当者は「こんな数字は見たことがなかった」と証言した<ref>『[[スポーツグラフィックナンバー]]』第802号より。</ref>。
移籍初年度である2003-04シーズンの開幕戦から驚異的な活躍でスタメンの座を確立し、同シーズンはセリエAで30試合に出場、チームの[[セリエA (サッカー)#スクデット|スクデット]](リーグ優勝)、[[UEFAスーパーカップ]]獲得に大きく貢献した。
 
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[[ファイル:Kaka in Moscow 2007.jpg|thumb|left|200px|ミランでのカカ(2007年)]]
2006-07シーズンは、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07|UEFAチャンピオンズリーグ]]にて10得点を決め[[ブラジル人]]としては[[リバウド]]以来の得点王となり、チャンピオンズリーグ優勝の原動力となった。また、[[FIFAクラブワールドカップ2007]]では1得点3アシストの大活躍を見せ、[[UEFA年間最優秀選手]]に輝くと共に、欧州代表として初となるFIFAクラブワールドカップ優勝に導いた。これらの活躍を評価され、2007年は[[バロンドール]]、[[FIFA最優秀選手賞|FIFA年間最優秀選手賞]]、[[FIFPro年間最優秀選手賞]]、[[ワールドサッカー (雑誌)#世界最優秀選手賞|英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞]]をいずれも初受賞した。また、同年には[[レアル・マドリード]]から8000万ユーロ(約130140億円)の移籍金と手取り12001400万ユーロ(約20億円)のオファーがあったが、本人は「レアルは僕が欲しいなら、[[シルヴィオ・ベルルスコーニ|ベルルスコーニ]]会長の首を縦に振らせればいい」と言い、[[パオロ・マルディーニ]]引退後にキャプテンを継ぎたいと語った<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3433832/ カカ、ミランひと筋を明言]livedoor.com、2007年12月18日</ref>。そして、2008年には2013年までACミランとの契約を延長した<ref>[http://www.skysports.com/story/0,19528,11854_3216237,00.html Kaka will not leave Milan]skysports、2008年2月29日</ref>。
 
2009年1月、プレミアリーグの[[マンチェスター・シティFC]]がカカ獲得にサッカー界史上最高額の1億ユーロ(約120億円)以上ともいわれる移籍金をミランに提示したことによる移籍騒動が勃発。カカにも年俸1500万ユーロ(約20億円)を提示<ref name=jij>{{Cite news