「鶴見虹子」の版間の差分

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[[2012年]](平成24年)4月、[[日本体育大学]]に入学したが<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120403-928126.html|title=体操女子エース鶴見が日体大入学式|date=2012-04-03|accessdate=2012-04-03|newspaper=日刊スポーツ}}</ref>、全日本選手権個人総合では体調不良の結果、7位に終わ大会7連覇を逃した。(優勝は[[田中理恵 (体操選手)|田中理恵]]だった)。NHK杯は、4位入賞にて、2大会連続のオリンピック代表に選出された。オリンピックでは前回に続いての団体総合の決勝進出を果たしたが、前回より順位を下げ、8位入賞に終わった。個人総合の出場は逃したものの種目別の段違い平行棒では7位入賞を果たした。
 
しかし2014年(平成26年)に左足[[アキレス腱]]断裂、[[2015年]](平成27年)にはNHK杯で右足アキレス腱断裂と度重なる怪我に泣かされ、同年[[11月28日]]開幕の全日本団体選手権を最後に現役を引退することを発表した。大学卒業後は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ渡り、「悔いはないです」とコーチを目指すため指導法および語学を学ぶという<ref>{{Cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/11/26/kiji/K20151126011578180.html |title= 鶴見 故障重なり引退…北京、ロンドン五輪出場「悔いはない」 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2015-11-26 |accessdate= 2015-11-26 }}</ref>。全日本団体選手権では段違い平行棒のみ出場し決勝では落下のミスが響き、悔し涙を見せたが鶴見の日本体育大学は男女アベック優勝を果たした。
 
[[2016年]](平成29年)7月より、東京乃木坂、六本木、赤坂最寄りのネイチャーボディハウススタジオにて、キッズ&ジュニア体操教室を開講。現在に至る。<ref>[http://www.nb-h.jp/kidsgym/ ネイチャーボディハウス]</ref>