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[[フランス王国|フランス]]の[[カペー朝]]・[[ヴァロワ朝]]・[[ブルボン朝]]・[[オルレアン朝]]は、西欧文化圏では王朝交代とみなされる<ref>ただし、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]などフランス国外で王位を獲得した傍系の男系支族を含め"Capetian Dynasty"として広義には一つの王朝とみなされる。また、ヴァロワ朝初代の[[フィリップ6世]]はカペー朝最後の[[シャルル4世 (フランス王)|シャルル4世]]と4親等の関係(従兄弟)である一方、ヴァロワ朝内では5親等以上の継承が2度なされているが王朝交代とはみなされないため、一概に傍系継承が王朝交代に直結するとは言えない。</ref>が、[[漢字文化圏]]で一般的な見方に拠れば、すべて[[ユーグ・カペー]]の男系子孫による同一王朝とみなされる<ref>ただし中国南朝の[[斉 (南朝)|斉]]と[[梁 (南朝)|梁]]は男系で連なる同族であるにも関わらず別王朝扱いでありこれもまた一概には言えない。また前述の通り、[[前漢]]と[[後漢]]は途中で中断があったために事実上別王朝扱いである。後漢では自分たちが前漢の継承者であるという意識は当然存在したが、この程度の意識はヴァロワ朝やブルボン朝もカペー朝に対して持っていた。</ref>。
 
また、[[バーブル]]の前半生は[[ティムール朝]]の歴史であるが後半生は[[ムガル朝]]の歴史とされるように、あるいは[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]の統治時代のうち1917年までは[[サクス=コバーグ=ゴータ朝]]とされ1917年以降が[[ウィンザー朝]]とされるように、同一人物であっても家名・政権・政体の変化によって別王朝として扱われることがある。
 
== 暗喩として ==