「加曽利貝塚」の版間の差分

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特別史跡の指定について。
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'''加曽利貝塚'''(かそりかいづか)は、[[千葉県]][[千葉市]][[若葉区]]桜木8丁目にある[[縄文時代]]の[[貝塚]]である。世界でも最大規模の貝塚であり、学史上でも著名な[[標式遺跡]]としても知られる。
[[1971年]]([[昭和]]46年)に北貝塚が、[[1977年]](昭和52年)に南貝塚が国の[[史跡]]に指定され、[[2017年]]([[平成]]29年)に国の[[特別史跡]]に指定された。北貝塚のE地点の[[土器]]は、縄文中期後半の[[加曾利E式|加曽利E式]]、南貝塚のB地点の土器は、縄文後期後半の[[加曽利B式]]として[[編年]]の指標となる土器と位置づけられている。
{{Location map|Japan Chiba| lat_deg = 35| lat_min = 37| lat_sec = 24| lon_deg = 140| lon_min = 9| lon_sec = 53| label = 加曽利貝塚| position = bottom| mark = Red pog.svg| marksize = 10| width = 220| caption={{Center|位置図}}}}
 
== 概要 ==
加曽利貝塚遺跡は、千葉市内を東西に流れる[[都川]]の支流である坂月川を北に2キロメートルほど遡った西側(右岸)の東西約500メートル、南北約800メートルの舌状[[台地]]上にあり、その台地は西側が平坦部で、東側に向かって緩やかに傾斜している。貝塚を含む地層は台地の東側縁辺に東西300メートル、南北400メートルにわたって分布している。
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== 発見と保存 ==
[[File:Kasori midden preserve north.jpg|thumb|180px220px|北貝塚貝層断面]]
[[File:Kasori midden preserve south.jpg|thumb|180px220px|南貝塚貝層断面(右)、小山を「[[切通し]]」として保存]]
加曽利貝塚は、[[1887年]]([[明治]]20年)の上田英吉の「下総国千葉郡介墟記」(東京人類学会雑誌2-19)によって学会に初めて紹介された。[[1907年]](明治40年)、東京人類学会の調査によって「本邦第一の貝塚」であることが確認された。
 
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{{Coor title dms|35|37|24|N|140|9|53|E|region:JP-12_type:landmark}}
 
{{考古学}}
{{日本の文化財}}
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[[Category:日本の貝塚]]