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'''カール・バルト'''({{lang-de|Karl Barth}}, [[1886年]][[5月10日]] - [[1968年]][[12月10日]])は、20世紀の[[キリスト教神学]]に大きな影響を与えた[[スイス]]の[[神学者]]。その思想は[[弁証法神学]]や[[危機神学]]、あるいは[[新正統主義]]と呼ばれる(バルト自身は自らの神学を「神の言葉の神学」と呼んでいる)。[[1934年]]、[[ナチス・ドイツ]]の政策に従うドイツ福音主義教会(DEK)に対して結成された[[告白教会]]の理論的指導者となり、[[バルメン宣言]]を起草した。
 
== 生涯 ==
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また彼は改革派の神学をドイツ語圏(20世紀神学はドイツ語圏を中心に展開している)で再確認するきっかけを与えた。バルトに従えば神の律法は福音からして認識される。ルター派が主張する、「律法と福音」ではなく「福音と律法」という順序を主張した(同名の著作・邦訳書あり)。
 
彼はプロテスタント[[福音主義神学]]においては、バルトはティリッヒおよび[[ルドルフ・ブルトマン]]と並ぶ20世紀を代表する神学者と位置づけられている。教皇[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]をして「今世紀(20世紀)最大のプロテスタントの神学者」と言わしめた。[[プラトン主義]]的な宗教論を提唱したイギリスの神学者、[[C・S・ルイス]]とも論争を行った。その思想は[[マルティン・ハイデッガー]]、また日本では[[西田幾多郎]]、[[滝沢克己]]に影響を与えており、数々の著作集・説教集の邦訳が刊行されている。
 
かつては[[ジャン・カルヴァン]]以来最大の改革派[[プロテスタント]]福音主義神学|福音主義神学者]]と称され、その影響力は世界の教会に及び、[[カール・マルクス]]、[[カール・ヤスパース]]と共に20世紀の思潮を決定付けた3つのKという人もいた{{誰|date=2013年6月}}。ヤスパースは、戦後バーゼル大学でバルトと同僚でもあった。
 
死後の[[1970年]]に開催された[[日本万国博覧会|大阪万博]]において、生前に録音されていたバルトの語りがスイス館の紹介に用いられた。
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* [[ローマの信徒への手紙]]
* [[新正統主義]]([[弁証法神学]]、[[危機神学]])
* [[福音主義神学]]
* [[イスカリオテのユダ]]