「小諸城」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
復元された大手門画像+
大手門につき、近年の再建と誤解されないよう、説明文を改める。画像1点追加。
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|pref = 長野県
|img = ファイル:Komoro castle00s3872.jpg
|img_capt = 三
|img_width= 275px
|ar_called = 酔月城 穴城 白鶴城 鍋蓋城
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== 遺構 ==
[[File:Komoro Castle's Otemon Back side.jpg|thumb|200px|復元された大手門(解体修理後)]]<!--画像ファイル名および説明文に「裏側」とあるが、この画像に写っているのが表側である。-->
[[File:Komoro Castle's Otemon Front side.jpg|thumb|200px|大手門(背面)]]
現在は、当時の建造物は石垣と現在の懐古園の入り口の三門、市街地に存在する[[大手門]]のみが現存している。これら2つの大手と三之門の2棟は共に国の[[重要文化財]]に指定されている。その他、天守台、石垣などが現存する。
 
現存する大手門は五間櫓門、入母屋造、本瓦葺きで、慶長17年(1612年)の建立である。門は、小諸市の所有となる前は料亭などとして使用されていたため、一部に改造もあるが、建物の根幹部は建立時の状態をとどめている<ref>文化庁文化財保護部「新指定・新選定の文化財」『月刊文化財』365、第一法規出版、1994、pp.38 - 39</ref>。平成16年(2004年)から同20年(2008年)にかけて解体修理が実施され、改変部分は旧状に復している<ref>[http://www.city.komoro.lg.jp/doc/2014022500774/ 「小諸城大手門」(小諸市サイト)](2018年1月5日閲覧)</ref>。
三ノ門は1615年に建てられたが、[[1742年]]に起きた[[戌の満水|洪水]]によって大手門、足柄門と共に損壊した<ref>[https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/2000515100/topg/saigai.html 地震・火山・水害等災害の記録] NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ</ref>。現存する三ノ門は1765年に再建されたものである。大手門は近年まで民家として利用されていたが、平成20年(2008年)に再び門として修復、復元された。
 
門は1615年に建てられたが、寛保2年([[1742年]]に起きた[[戌の満水|洪水]]によって大手門、足柄門と共に損壊した<ref>[https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/2000515100/topg/saigai.html 地震・火山・水害等災害の記録] NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ</ref>。現存する三門は1765明和3(1766年)に再建されたものである、三間櫓門、寄棟造、桟瓦葺き大手の所有者近年ま懐古神社民家として利用されていたがある<ref>文化庁文化財保護部「新指定・新選定の文化財」『月刊文化財』365平成20年(2008年)に再び門として修復第一法規出版復元された1994、pp.38 - 39</ref>
 
移築現存する建物としては、足柄門が市内光岳寺山門として、黒門が市内正眼院山門として、旧北御牧村(現:[[東御市]])の民家に本丸御殿の書院といわれるものが移築されている。
 
=== 侍屋敷 ===
[[武家屋敷#侍屋敷|侍屋敷]]は、特に保存されていない。しかし、三門を向かって左手方向の旧馬場町、右手方向の旧足柄町(いずれも住居表示は小諸市古城)一帯には、旧藩時代の直系子孫が現在も居住して、かつての面影を若干残していることがある。
 
== 懐古園 ==
<gallery>
Komoro castle00s3872.jpg|懐古園三門とその[[扁額]]
Komoro - Kaikoen - Kuromon Bridgr.JPG|黒門橋
Koyama Keizo Museum of Art Komoro Japan02s3.jpg|小諸市立小山敬三美術館