「一汁一菜」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
無関係な記述を削除
Diamboroid (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
[[ファイル:Breakfast of grilled salmon, miso soup and rice by jetalone.jpg|thumb|250px|一汁一菜の食膳。白飯(主食)、ジャガイモの[[味噌汁]](汁)、[[サケ|焼鮭]](菜)。基本的に、3つ器、茶碗、椀、皿が並び、そこにおさまる。]]
'''一汁一菜'''(いちじゅういっさい)とは、汁一品、菜(=[[惣菜]])一品だけの[[食事]]のこと<ref name="koujien">広辞苑</ref><ref name="daijisen">大辞泉</ref>。
 
== 概説 ==
一汁一菜は、主食([[白米]]や[[玄米]]や[[雑穀|雑穀米]])[[汁物|汁もの]]([[味噌汁]] 等)一品と菜([[惣菜おかず]]、惣菜)一品を添えた日本における[[献立]]の構成の一つであり、粗食を指す。<ref name="koujien" />「一汁一菜」と言っても、汁と菜にさらに「香の物」(=[[漬物]]類)を少量添えることはしばしばある<ref name="koujien" />
 
「一汁一菜」はもともとは、おかずが一品のみしかない「質素な食事(粗食)」の意味で用いられた言葉であったが、食生活の欧米化や食べすぎ([[メタボリックシンドローム|栄養過多]])、[[肥満]]傾向、[[生活習慣病]]、「飽食」が日本人の健康を害しているという事実が明らかになってきた近年は、むしろ良い意味の言葉とされ、(食べ過ぎを防ぎ)健康に良い食事・献立、として着目されるようになった。一汁一菜もちょっとした配慮・工夫で栄養バランスも良くなり、この一汁一菜で[[健康]]で[[長寿]]になれるという。例えば、[[禅寺]]の食事が一汁一菜の食事を守っており、[[禅僧]]たちは一汁一菜の質素な食事でも、寺の仕事と修行をたっぷりこなし、さらに病気にかかりにくく長寿をまっとうするという<ref>藤本憲幸『できる人の活性脳の作り方』p.49</ref>。
「一汁一菜」はもともとは、おかずが一品のみしかない「質素な食事(粗食)」の意味で用いられた言葉である。
 
一汁一菜を守っていれば、食べ過ぎになるということもなく、標準的な大きさの器に常識的な盛り方をすれば、特にややこしいカロリー計算などしなくても食べ過ぎを防止することができる。かつて一汁一菜を守っていた日本人には、[[肥満]]や[[脂質異常症|高脂血症]]などはほとんどなかった。[[医療費]]の増大に困っていた[[アメリカ]]は、[[食生活指針#アメリカ|マクガバンレポート]]で、[[肉]]・[[乳製品]]・[[卵]]などの動物性食品を減らし、[[穀物]]や[[野菜]]・[[果物]]を多く摂るようにと勧告、日本の食習慣を見習うべきであるとし、玄米を主食にしていた[[元禄時代]]以前の日本の食事を理想的な食事としている<ref>[http://www.dietitian.or.jp/consultation/d_03.html 栄養のバランスと健康] [[日本栄養士会]]</ref>。しかし、日本でも食生活が欧米化するにしたがい生活習慣病が増加しはじめたため、[[農林水産省]]が一汁一菜を現代風にアレンジした一汁三菜の[[日本型食生活]]を提唱、「バランスの良い食事」として紹介している<ref>[http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/ 「和食;日本人の伝統的な食文化」とは] [[農林水産省]]</ref>。
 
また、量の不足を脱した[[1970年]]([[昭和]]45年)頃の日本人の食事は、[[フランス]]の農学者、ジョセフ・クラッツマン([[:fr:Joseph Klatzmann|fr]])をして理想的と言わしめたものであり、[[栄養学]]的見地からすれば理想的なものだった。だが、最近の日本人は次第に忙しくなって、食事の用意や器を洗うことも面倒だと感じる人が多くなり、「一汁三菜」だったものが菜の数が減って「一汁一菜」を通り越し、副食・主食・スープものがすべて合体化し、たったひとつの器に盛って出す「ワンディッシュ化」が起きていることが懸念される<ref>[http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2013/10/1028.html 世界に認められた“和食” 見直される魅力] [[日本放送協会|NHK]] [[おはよう日本]]</ref>。
 
他に、「○汁○菜」という表現には、[[本膳料理]]や[[懐石]]での「[[一汁三菜]]」という別概念がある。汁物1品とおかずを3品(主菜1品+副菜2品)にした構成である。客の身分・役職により菜の数が変化する本膳料理の中では、もっとも簡素な形式である。懐石では向付([[刺身]]や[[昆布締め]]、[[膾]]など)、煮物、焼物で三菜となる。かならずしも質素な食事とはいえないが、口腹を満足させることではなく、[[器]]を愛で[[色彩]]を楽しむことが重んじられ、[[西洋料理]]の[[ガストロノミー]]とは[[価値観]]が異なる。
 
== 歴史 ==
元々は[[鎌倉時代]]に[[禅寺]]で採られていた、質素倹約を重視した食事の形式を指す言葉であった。よっておかずも[[野菜]]を用いた極めて質素なものであった(ただし、特別な日や来客時には「一汁三菜」となった)。この食事形式が一般の人々にも広まり、やがて一汁一菜・一汁三菜が日本の伝統的な日常の食事形態として定着するに至った。ただし、鎌倉期以前の[[律令時代]]の下級官人と庶民の食事形態も実質的には一汁一菜である<ref>『詳説 日本史図録』 [[山川出版社]] 第5版2011年(1版2008年) ISBN 978-4-634-02524-0 p.49.庶民の食事に至っては全部で407kcalとしている(1日2食としても814kcal)。</ref>。
 
[[江戸]]の[[長屋]]で暮らしている人々の場合、[[十二時辰|暮れ六つ]]([[日没]]=午後6時ごろ)に男性が帰って、[[湯屋]]に行って湯を浴び、それから食事となり、一汁一菜、ないしは一汁二菜と香の物程度を食べたといい、おかずとしては夕鯵(ゆうあじ)と言うように、夕方に[[魚河岸]]にならんだ新鮮な[[鯵]]や[[こはだ]]が喜ばれたという<ref>平井聖『町屋と町人生活』学習研究社</ref><ref>大石学『大江戸まるわかり事典』p.58</ref> 。
 
ただし[[庶民]]にとっては一汁一菜も日常の食事としては贅沢なものであり、通常は「おかず無し」、つまり、ご飯・汁・漬け物のみというのが日常の食事スタイルであった人も多いともいう。玄米で食べれば[[米]]は[[完全食]]であり、味噌汁で大豆蛋白を補えば栄養学的にはそれで充分なのである。一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ…… ほめられもせず 苦にもされず そういうものに私はなりたい、と[[宮沢賢治]]も言っている。重労働をこなしていた時代には米を大量に食べてカロリー源とするのみならず、[[タンパク質]]も米から摂取していた。比率は多くはないものの人間にとっての[[必須アミノ酸]]がバランス良く含まれ、米はタンパク質の補給源としても秀れた食品であり、米のみで人体を維持するに十分なカロリーとタンパク質は得られるのである<ref>石毛直道 『日本の食文化史』 岩波書店、2015年、ISBN 978-4-00-061088-9、20-21頁</ref>。
 
[[江戸時代]]には[[上杉鷹山]]や[[池田光政]]が人々に[[倹約]]のために食事を一汁一菜にするよう命じたことが知られている。[[松代藩]]のように「おかず禁止令」を出して徹底した倹約を図った藩も存在する。[[二宮尊徳]]も奉公先の[[小田原藩]]家老服部家を立て直すにあたって、おかずを禁止している。
20 ⟶ 28行目:
* [[日本料理]]
* [[定食]]
* [[雨ニモマケズ]]
* [[ちらし寿司]]
 
== 関連書 ==