「マリー・グートハイル=ショーダー」の版間の差分

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[[1900年]]に[[グスタフ・マーラー]]と契約を結んで[[ウィーン宮廷歌劇場]]に進出する。さしあたって同年[[2月19日]]には《[[道化師_(オペラ)|道化師]]》のネッダ役でウィーンに客演し、[[5月26日]]に《カルメン》のタイトルロールで宮廷歌劇場の一員としてデビューした。[[1902年]]にウィーンでG&T社のために、《カルメン》からの2曲に加え、《[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]》のアリア1曲、《白婦人》や《[[ホフマン物語]]》からの二重唱を録音する。[[1913年]]には《[[ばらの騎士]]》のオクタヴィアン役で[[ロイヤル・オペラ・ハウス|コヴェント・ガーデン]]にも出演した。
 
当たり役の一つは、「風変わりな[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]風の」カルメンだった。その他の十八番の役柄に、エヴァ、パミーナ、[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ミミ]]、[[サロメ_(楽劇)|サロメ]]、マルタ、[[ケルビーノ_(マスネ)|シェリュバン]]、エルビーラ伯爵夫人がある。
 
グータイル=ショーダーは、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]歌手として持て囃されただけでなく、同時代の音楽にも興味を寄せた。R・シュトラウスの[[バレエ音楽]]《[[ヨゼフの伝説]]》のウィーン初演ではポテパルの妻役で出演し、[[1924年]]には[[プラハ]]において、[[アルノルト・シェーンベルク]]の歌劇《[[期待_(シェーンベルク)|期待]]》の初演で恐ろしく難しい主役を演じ切った。[[1925年]]には[[ウィーン国立歌劇場]]の名誉会員に選ばれている。[[1927年]]まで[[ウィーン]]に留まり、「思慮深い女性歌手」の真骨頂を窮めた。