「キャンディーズ」の版間の差分

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: 「春一番」「年下の男の子」「微笑がえし」等代表曲の作詞や作曲を担当した[[作曲家]]。元GS[[アウト・キャスト]]のメンバー。16歳の時に、プロとしての活動を開始。その後日本大学芸術学部在学中に、作曲・編曲家の[[森岡賢一郎]]に抜擢され、19歳で最年少のスタジオミュージシャンとなり多くのレコーディングセッションに参加。23歳で作曲・編曲家に転向。
; MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)
: キャンディーズ全盛期のライブを支えたバックバンド。リーダーは[[ザ・ワイルドワンズ|ワイルドワンズ]]でキーボード担当の「チャッピー」こと[[渡辺茂樹]]。後の「[[スペクトラム (日本のバンド)|スペクトラム]]」のメンバーも数多く在籍していた。
: 当初は「ロックンロールサーカス」の名前で、[[伊丹幸雄]]のバックバンドを務めていたが、[[あいざき進也]]のバックを努める際に「ビート・オブ・パワー」と名前を変え、その後編成を変えMMPとなった。大里マネージャーの意向により1975年8月の日劇ウエスタンカーニバルや10月の蔵前1万人カーニバルで一部サポートに起用される。ホーンセクションをフィーチャーしたロックバンドであるMMPは、当時流行していたソウルミュージックのカバーに力を発揮。またオリジナル曲に於いてもフルバンドでは生み出せないノリをもたらした。ライブに於ける、MMPオリジナル曲「SUPER CANDIES」で客席を煽り、「ハートのエースが出てこない」でキャンディーズが登場するメドレーは名物のひとつとなった。
: 1977年、キャンディーズ解散前にホーンセクションが「ホーンスペクトラム」として独立(ライブのサポートは解散まで継続)。バンド自体はキャンディーズ解散後にシングル「悲しき願い」を発売するなどの活動もあったが、ほどなくして解散。後にリズムセクションの一部とホーンスペクラムの主要メンバーが合流して「スペクトラム」を結成した。