「呉 (十国)」の版間の差分

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==歴史==
創始者・[[楊行密]]は[[廬州]]合肥(現在の[[安徽省]][[合肥市]])の人で、[[唐]]末の混乱の中で初めは群盗から軍に入り、無頼の徒を糾合して故郷の廬州を占領し、唐の懐柔策により廬州[[刺史]]となった。その後も周辺地域を切り取り、[[892年]]には[[揚州市|揚州]]を占領して淮南[[節度使]]になる。
 
更に[[長江]]を遡って中流域をも抑え、一大勢力圏を築いた。その後、南下する[[朱全忠]](この時はまだ[[後梁]]を建てていない)と抗争し、[[淮河]]の線を確保し、[[浙江省|浙江]]に拠った[[呉越]]と[[蘇州市|蘇州]]を巡って争うが、これには敗北して蘇州は呉越のものとなった。これらの勢力を持って[[902年]]に唐より呉王に封ぜられる。楊行密は自立はしたもののあくまで唐の臣下としての立場を貫いており、死ぬまで唐の[[元号]]を用い続けた。