「伊豆大島」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)には[[小笠原諸島]]への軍事輸送のために島内に送受信所が設置され、[[大日本帝国海軍]]第二[[魚雷艇]][[特別攻撃隊]]の中間基地として波浮港が接収された。また、[[1945年]](昭和20年)6月には[[本土決戦]]に備えて第321師団が編成されている。ほとんどの民家が部隊によって接収され島民は集団[[疎開]]を命じられ、一部は[[長野県]]へ疎開したが、輸送船が足りずに命令は撤回された。
 
戦後の[[1946年]](昭和21年)[[1月29日]]に占領政策から伊豆諸島は日本の行政から切り離されることになり、島民の中には暫定[[憲法]]を制定する行動もあった<ref>{{Cite news | title =独立想定し「暫定憲法」 GHQ統治下で日本から分離の伊豆大島 | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 1997-01-07 | page = 1}}、{{Cite news | title =伊豆大島の「暫定憲法」全文 | newspaper = 朝日新聞 | date = 1997-01-07 | page = 30}}、{{Cite news | title =自立への模索53日間、幻の伊豆大島共和国 「暫定憲法」全文発見 | newspaper = 朝日新聞 | date = 1997-01-07 | page = 31}}</ref><ref>{{harvnb|榎澤幸弘|2013}}</ref>が、3月22日に方針が変更されて分離は行われなかった。
 
[[1952年]](昭和27年)[[4月9日]]に羽田発福岡行き日本航空301便「もく星号」が三原山の高度600 m(2,000 ft)に衝突し、31人が死亡した。
{{See|もく星号墜落事故}}
 
[[1955年]](昭和30年)4月1日に伊豆七島国定公園の一部となる<ref>1955年(昭和30年)4月1日厚生省告示第84号「国立公園法により東京都大島大島町等を準用区域に指定し伊豆七島国定公園と称する件」</ref>。
 
[[1958年]](昭和33年)の[[狩野川台風]]では、24時間雨量約400 mmにより土砂災害が発生し、元町地区の104棟が全半壊し死者、行方不明者各1人を出した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131017/dst13101714340014-n1.htm 55年前の教訓生かせず 大島町長「認識不足だった」]産経新聞2013.10.17</ref>。
 
[[1964年]](昭和39年)[[7月7日]]に[[富士箱根伊豆国立公園]]の一部となり<ref>1964年(昭和39年)7月7日厚生省告示第318号「国立公園に関する件」</ref>、伊豆七島国定公園の指定が解除される<ref>1964年(昭和39年)7月7日厚生省告示第319号「国定公園に関する件」</ref>。
 
その後、[[1965年]](昭和40年)[[1月11日]]午後11時頃に元町港のすぐ近くにある寿司屋を兼ねた旅館を火元とする大火があり、折からの強風にあおられて消失面積15万[[平方メートル]]、全焼418戸、罹災408世帯の被害が出て1311名が焼け出される被害がでた。この火災に対しては[[災害救助法]]が適用された。この火災については30キロ離れた対岸の伊豆の熱川や[[稲取]]からも見えたという。
{{See|大島大火}}