「1910年のメジャーリーグベースボール」の版間の差分
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[[ワールドシリーズ]]は、アスレチックスのクームズが3勝を上げて、4勝1敗で、[[オークランド・アスレチックス|フィラデルフィア・アスレチックス]]が優勝し、コニー・マックが初の世界一の座をつかんだ。
===首位打者 ===
この年は終盤に首位打者争いが白熱して、球史に残る打率争いとなった。シーズン最終日の試合前、タイ・カッブが509打数196安打で[[打率]].385、ナップ・ラジョイは打率.376と9厘差であった。そして[[首位打者 (MLB)|首位打者]]を確信したカッブは最終日の試合を欠場し、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ(現:[[ボルチモア・オリオールズ]])戦の[[ダブルヘッダー]]で9打数8安打を打って、最終成績は591打数227安打で打率.384となった。惜しくもラジョイの方が1厘差及ばず、カッブの首位打者が決まった。しかし、この最終戦でのラジョイの8安打について相手チームのブラウンズのオコーナー監督とハウエル・コーチがラジョイに首位打者を取らせるために、
1981年[[スポーティング・ニューズ社]]により1910年の打撃成績の集計に誤りが指摘され、タイ・カッブの成績が509打数196安打ではなく、506打数194安打で打率は.385から.383に修正され、シーズン打率は2位に後退した。しかし[[MLBコミッショナー|コミッショナー]]特別委員会はその後の八百長疑惑から監督とコーチが永久追放処分となった影響もあってか、首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した選手となった。MLB公式記録でもカッブは509打数196安打で打率.385のままである。
現在、打率1位の記録を残した選手と首位打者を獲得した選手とが違うというケースは、1902年の[[エド・デラハンティ]]と[[ナップ・ラジョイ]]の例があるが、これはラジョイの規定試合出場数が足りないためで、この
=== 規則の改訂 ===
* この年からコルク製の芯を持つボールが採用される。
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== 出典 ==
* 『アメリカ・プロ野球史』 77-78P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一新書
* 『米大リーグ 輝ける1世紀 ~その歴史とスター選手~』 53-54P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
* 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』100-101P参照 「ナポレオン・ラジョイ」 1997年10月発行 日本スポーツ出版社
== 外部リンク ==
* [http://www.baseball-reference.com/ Baseball-Reference.com]
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