「オリンピア (映画)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
37行目:
 
==日本公開==
大会当時の日本ではテレビ放送は存在せずラジオ中継のみであったため、映像が公開されたことは日本でも反響を呼んだ評判となった。映画は大ヒットとなり、当時ライバル社で「[[駅馬車]]」の広報宣伝を担当していた[[淀川長治]]は非常に悔しい思いをしたと回想している。手塚治虫は[[アドルフに告ぐ]]の冒頭をベルリン五輪で開始し、[[西田修平]]と[[大江季雄]]の陸上棒高跳びの場面など、当作を意識した描写になっている。
 
==脚注==