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[[ファイル:Ahmose I - StatueHead BrooklynMuseum.jpg|thumb|250px|イアフメス1世。]]
'''イアフメス1世'''(AhmoseⅠ/AhmosisⅠ、在位:紀元前1570年 - 1546年)は、[[古代エジプト]][[エジプト第18王朝|第18王朝]]の初代[[ファラオ]](王)。[[エジプト第17王朝|第17王朝]]の[[セケンエンラー|セケンエンラー・タア2世]]は父、[[カーメス]]王は兄(もしくは叔父)である。王妃は[[イアフメス・ネフェルトイリ]](イアフメス・ネフェルタリ)
 
誕生名は'''イアフメス'''(Ahmose/Ahmosis)で、意味は「(月神)[[トート|ラー]](Lah)の造りしもの、(月神)ラーに生み出されしもの」。即位名は'''ネブペフティラー'''(Nebpehtire)で、意味は「力の主は(太陽神)[[ラー]](Ra、Re)」。
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== 生涯 ==
兄カーメスの後を継いでファラオとなるが、まだ幼少であったため、セケンエンラー・タア2世の王妃にして母の[[イアフヘテプ1世]]が摂政を務めていたと考えられている。長じて、父と兄(もしくは叔父)の仇である[[ヒクソス]]の[[エジプト第15王朝|第15王朝]]を[[パレスチナ]]に追い詰めて滅ぼし、ヒクソスと協力関係にあった南の[[ヌビア]]([[クシュ]]王国)も制圧し(ヌビア総督府が置かれ、総督は「クシュの王子」と呼ばれた)、悲願であったエジプトの再統一を果たす。血統的には第17王朝に属するが、エジプトの統一者、秩序の回復者としての功績が評価されて、新王朝の創始者として位置づけられている。
 
{{Commonscat|Ahmose I}}